Update : 2021.04.16
長野県・伊那市。アルプスの山間部に位置するこの地に伊那食品工業株式会社がある。
「かんてんぱぱ」の愛称で親しまれ、スープやデザートをはじめとする健康食品など、ライフスタイルに沿った様々な製品を開発する。この国内トップの寒天メーカーが新たに農業とも連携する。その成長戦略に迫った。
「私も社員も一生は一度きり。だったら幸せに生きたいじゃないですか!」そう語るのは、二代目社長で現最高顧問の塚越寛氏。
およそ60年前、倒産寸前だった会社を立て直すため、21歳で『社長代行』という変わった肩書で入社した。以降、“いい会社とはなにか?”という原点に立ち、取り組んできたものが“社員の幸せ”だった。
まず着目したのが相場商品の脱却。
当時の寒天生産は、農家が冬場の副業にする程度の産業。天候次第で生産量が増減する上に、原料の海藻が不足すると価格が何倍にも高騰してしまう相場商品だった。そんな状況下、70年代に起こったオイルショックに直面する。安定供給に限界を感じ、原料を海外に求める決意を固めた。
その後、チリやモロッコ、インドネシアに韓国と原料の海藻を求め世界を飛び回り、パートナーを探す。現地の会社に技術指導者を派遣し、開発輸入を通じて、共に成長できる生産体制を構築した。同時に、自社の生産設備・備蓄倉庫を拡大していった。
「私は安く仕入れるために海外と取引していません。人間関係を築き、パートナーとして提携先の企業にも幸せになってもらいたいと感じています」と塚越寛氏は語る。
寒天の価格を安定させるための供給体制が確立した1977年、「寒天はもう相場商品ではありません…」という文字が新聞記事を飾った。
次に取り組んだのが用途開発。
安定した供給体制を作り上げたものの、需要は和菓子などの食品に限られていた。これでは成長はできないと、メーカーや顧客の声に耳を傾け、新たな用途や商品の研究開発を推進した。社員の一割を研究開発員として雇用し続けるとともに、研究施設の拡充を進めた。
これらの環境のもとで製造条件を変える等の試行錯誤を経て、様々な物性・形状の寒天を生み出し、食品以外にも化粧品や医療、そしてバイオテクノロジーの分野の開拓にも成功した。
「いたずらに大きく成長することが正しいと私は思わない。急成長にはリスクや不安が付きまとい、ノルマ的な経営を強いては社員を不幸にしてしまう。そして、環境問題や資源問題を疎かにしてしまいます。だから『年輪経営』と私は言っていますが、限りなくゆっくりでも右肩上がりの成長を続けていく。伸びる事を目的とするのではなく、永続するための成長。そうすれば夢や希望があり皆が幸せになれます。」と塚越寛氏は力説する。
1958年の入社から48期連続で増収増益という金字塔を打ち立て、現在、寒天の国内シェアは約80%、世界シェアでも15%を占め、年商は197億円・従業員数475名の企業に成長を遂げた。
「幸せに生きるために最も大切なものが『忘己利他』、つまり己を忘れて他を利するという思いやりの精神です。」と塚越寛氏は語る。この精神が、伊那食品の事業展開の指針となっている。
年輪を刻む、末広がりの成長を実現する上で、伊那食品工業では環境問題・資源問題、さらに予測できない不景気や地震といった様々なリスクに備え経営の多角化を推進している。その中の一つが、寒天残渣の再資源化事業。
1990年から残渣をリサイクルする工場を設け、完全発酵させ堆肥化した「養土藻」製造に取り組む。1996年にはリサイクル推進功労者として農林水産大臣賞を受賞している。『忘己利他』の精神は代替わりを経た現在も受け継がれ農業へ進出するキッカケとなった。
「当時から環境問題への取り組みとして「養土藻」を製造してきたが、我々も効果について十分には分かっていなかった。ならば、自分達で野菜を作ってみようという事で農園事業が始まった」と語る代表取締役社長 の塚越英弘氏。
2006年、「養土藻」を通じた事業展開として「ぱぱな農園」を設立した。農園事業を推進し、耕作放棄地の再生や高齢者の再雇用、若い担い手の育成など、地域の再生に取り組んでいる。
経営資源を最大限に活用する上で地域と連携した新たな農業モデルを成長戦略に位置付け、土づくりから販売までの6次化産業モデルを模索する。現在は、大型ハウスでミニトマトやパプリカ、そしてアボカドの栽培も試みる。また、「養土藻」を使った化学肥料を一切使用しない米作り、さらに、後継者不足にあえぐ酒造会社のM&Aを行い、事業継承と同時に酒米栽培にも挑戦している。
「まだまだですね。到達点は無いと思っています。また、寒天の原料は天然の海藻です。100年~200年先までそれが入手できるのかは誰にもわかりません。その為の準備として、農業をはじめとする様々な可能性ある事業をやっていく事が必要だと思います。」と塚越英弘氏は語る。
末広がりの成長を続ける伊那食品工業。寒天と農業の融合モデルを未来への年輪に刻む。
1937年、長野県駒ケ根市生まれ。高校時代に結核を患い、 3年間の闘病の後、21歳で地元の製材工場に就職。1958年にその系列会社で破綻状態だった寒天メーカー伊那食品工業に社長代行として入社後、再建を果たす。以来、寒天の新しい需要を開拓し、景気に左右されない年輪経営を続けている。
1965年生まれ。日本大学農獣医学部卒業。97年伊那食品工業に入社。2005年専務取締役、16年副社長、19年2月に社長就任。日本寒天工業協同組合代表理事。
年 商:197億700万円(2019年実績)
従業員数:475名(2020年1月)
伊那食品工業株式会社HP: https://www.kantenpp.co.jp/corpinfo/business