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トップランナー紹介

株式会社金沢大地 井村辰二郎氏

Update : 2022.11.18

「千年産業」を目指して 環境保全・持続のための有機農業

慣行農業に比べ、これまでニッチな存在だった有機農業。しかし2021年に農林水産省が『2050年までに有機農業の取組面積を100万haに広げる』という目標を掲げ、農業政策に大きな転換期が訪れている。そんな中、石川県を拠点に耕作放棄地を耕し、日本最大規模の180haの作付面積で米・麦・大豆を中心に有機栽培を行い、加工・販売等の6次産業化に取り組む株式会社金沢大地。井村辰二郎代表に、日本の農業の未来について話を聞いた。

ターニングポイント
消費者との絆をつくる

井村氏は、金沢で続く農家の5代目として脱サラを機に97年に就農。当時の作付面積は河北潟干拓地とその近隣で40ha(畑30ha・水田10ha)。これらの田畑を一から有機栽培に転換するという一大決心から全てが始まった。

「農業は1000年後も持続する産業でなければならない」という理念先行で経営を始めたが、父親には反対される。一年ほど喧嘩が続いたが、父親が折れてくれて有機農業に転換を進めた。

河北潟干拓地:昭和38年の着工から23年をかけて干拓された1,390haに及ぶ大地。石川県のほぼ中央に位置する。当初は水田目的であったが、減反政策により昭和52年から畑作計画に変更された。

理念を実現するために走り続けてきた25年

「大学で農学科を専攻する中で、自分はどんな農業がしたいのか?と自問自答した時に、持続可能性があって生物多様性に資するような農業がしたいと有機農業にたどり着きました。しかし、当時の農学科では有機の「ゆ」の字もなく、逆に薬剤の使い方などのカリキュラムがメイン。いわゆる有機JASというものもなく、少数派でした。」

目指すべきゴールは消費者との絆をつくる事。井村氏曰く“作るだけなら誰でもできる”。しかし、消費者から選ばれ、食べ続けてもらうためには生産者が“消費者を知る”事が何よりも重要と考えた。つまりマーケットインの生産が求められる。折しも当時は、化学物質過敏症や有機食品しか食べられないという消費者のニーズがあり、その受け皿として有機穀物を生産し販路を開拓していった。

左写真:河北潟干拓地  右写真:井村辰二郎代表

原材料に責任を持つということがビジネスの根幹

「私たちは米・麦・大豆がメインの土地利用型の穀物農家です。お米はインターネット販売で直接販売するという事例は25年前にもありましたが、特に加工原料である麦・大豆のほとんどは農協に出荷をするので、消費者まで私たちの情報が届かないような流通でした。その中で、有機の麦・大豆を消費者に届けるには自分で食品加工する以外に方法がなかったわけです。」と井村氏は語る。
そこで、自社農場の有機農産物を主原料とした加工食品の生産に取り組んだ。

金沢大地ブランドの商品

金沢大地流・ビジネスモデル
生産者と消費者“双方向のトレーサビリティ”

食べ物の生産段階から最終消費段階までの流通経路が追跡可能な状態をさす“トレーサビリティ”。井村氏は、『どんな人たちが、どういう思いで、どういう趣向で食べているのか』という消費者の情報をトレースしながら、加工食品の原料である有機穀物の安心・安全を確保するため、土づくりからトレースできる生産工程を導入した。

有機農業の基本は土づくり

「地域の未利用資源を活用するため、最初は牛や豚の堆肥を利用していました。しかし、窒素・リン酸・カリの成分的に一番バランスがよかったものが発酵乾燥鶏糞でした。そして、決め手となったのはトレーサビリティです。牛や豚は敷き藁を使うので、それがどういうものかまではトレースできません。さらに、当時は予防的に使用される抗生物質に対してセンシティブなお客さんも多かった。そんな状況下で、富山県の採卵農家と繋がることができました。雛の時にワクチネーションはしますが、その後は抗生物質を餌に混ぜないで育て、かつ、私たちが作った飼料米を食べた糞という事もあり耕畜連携が実現しました。」

ワクチネーション:ウイルスによっておこる病気に対して免疫(抵抗力)を与えること。

化学肥料に加え、化学農薬を使用しない有機農業は、まさに自然との闘い。金沢大地の圃場は、米・麦・大豆を定期的に輪作するブロックローテーション方式をとっており、作物ごとの雑草コントロールが技術の見せどころだ。種を撒いてから収穫まで、作物と雑草の共存が始まり、定期的なカルチベーション(畑を耕す作業)が必要となる。例えば、大豆畑では7回と、膨大な時間と手間暇を要する作業だ。農薬を使えば生産性は向上するが、一度でも化学農薬を使えば環境に負荷がかかり、生物が生息できない土になってしまう。

左写真:鶏糞堆肥 右写真:大豆畑には雑草が共存

受け継がれてきた「当たり前」の技術

「有機栽培っていうのは、昔からごく普通に行われていた農法です。今でいう、カーボンニュートラルであるとか生物多様性に対して、大変資する農業でもあります。1本の大豆の個体で半分食べられたら、かなりの減収になりますが、全滅するという経験は25年間ありません。やはり生態系のバランスがとれているので、益虫のお陰で害虫の数は制限されます。例えば殺虫剤を使うことで99%採れるか、使わなくて80%採れたとする、どっちがいいか?ということです。」

害虫を駆除してくれる益虫

上写真: マガモ
下写真: アイガモロボット

新たに有機のIT化も模索

井村氏の圃場の除草作業で活躍しているのが「マガモ」。水田にマガモを放すことで害虫や雑草を食べてもらう事に加え、カモが泳ぐ際に水が濁り抑草効果があるという。昔ながらの有機農法だが、新たなイノベーションとして「アイガモロボット」を試験的に導入。ホバークラフト上のロボットが水田を自律航行して、水中を撹拌し泥を巻き上げることで水面下にある雑草の生長を抑制するというものだ。
また、畑地雑草の抑制に向けては、ヨーロッパで開発された機械を調査、導入も行うなど、これら新しい技術の導入により有機の弱点である生産性向上を模索している。

金沢大地流・成長戦略
有機農業の6次化で千年産業を目指す

井村氏がこの25年間で進めてきた3本柱が「有機農業に転換」「6次産業化」「耕作放棄地を耕す規模拡大」。拘ってつくった有機穀物を食卓まで届けるためには、収穫量、つまり加工段階で必要なロット数を確保しなければならない。例えば、醤油メーカーに原料の有機大豆を送り製品化するのに最低でも6〜7トンが必要となる。トレース可能な最終製品にするには、安定供給が求められる。そこで、河北潟干拓地に加え奥能登など石川県各地に点在する耕作放棄地を積極的に開墾し、経営規模の拡大を図った。これにより、米・麦・大豆の安定供給が可能になった。

受け継がれてきた「当たり前」の技術

さらに、醤油・豆腐・味噌や麦茶など加工食品をブランディング。自社でも加工場を稼働させ6次化を推進している。販路として生協、スーパー、百貨店、自然食品店といったB to Bに加え、「たなつや」などの直売店、ネット通販というB to Cから、日本酒など一部商品の輸出も手掛け、井村氏の“思い”がトレース可能な有機食品の販売を通じ出口の「売る力」を強化した。

「たなつや」の名前は穀物や五穀を意味する古い言葉「たなつもの」に由来する。

「顧客も多様化してきて、今、いろんなお客さんが私たちの農産物を買ってくれるようになりました。例えば、生物多様性に資するようなものを応援したいという方もいれば、私たちの理念に共感してくれる方、とてもおいしいと言ってくれる方など、本当に多様な消費者のニーズを少しずつ紡いできた結果だと思います。」

上写真: 自社加工工場
下写真: たなつや(JR金沢駅 金沢百番街あんと内)

実際に収穫された「あやこがね」はJAS有機認証を受けた大豆。有機は大きさや色などの品質にバラツキがあると思われがちだが、大粒で味には自信があると井村氏は語る。そんな有機大豆からつくられたサクッと食感のお菓子「たまきなこ」は井村氏の思いが凝縮した商品だ。

「あやこがね」と「たまきなこ」

コウノトリ

持続可能な食料システムの構築を実現

一方、入口の「作る力」では25年間の努力が実を結び、千年先まで継承可能な食料システムが実現した。環境負荷の低減に努めた結果、井村氏の圃場である河北潟干拓地に新たな生態系が育まれた。

「ここは、昔は湖の底でした。とてもミネラル分が多く豊かな土ではありますが、腐植と呼ばれる団粒構造がありませんでした。しかし25年を経て団粒構造が生まれました。さらに、土の中に微生物やミミズが住み、畑にはたくさんの虫が生活圏を作っています。つまり、人工的に作られた場所に生物が宿り生態系が育まれました。その象徴ともいえる出来事として、コウノトリが飛来して卵を産んでくれました。コウノトリは圃場の生態系の一番上、そのコウノトリが餌場として私たちの圃場を選んだということは、ここに豊かな生物多様性があると言えると思います。」

農業政策の転換で機運が高まる有機農業

「これまで私たちは“ニッチトップ”というポジションだったと思います。誰もやらなかったわけですから…。しかし、国が『みどり戦略』という大きな舵を切りましたのでこれからは、有機が当たり前になると思います。その時には仲間も増えますし、私たちもいろんな情報をもらうこともできるでしょう。そして、競争の時代に突入するはずです。やはり生産性を上げて価格を慣行のものに近づけるような努力も必要ですし、量的供給が可能な体制をつくることが大事だと思います。」

有機農業をけん引してきたトップランナー井村さんの取り組みが、日本の農業を未来へと導く。

井村辰二郎氏プロフィール

1964年石川県金沢市生まれ。89年明治大学農学部卒業後、地元金沢の広告代理店を経て、97年脱サラし就農。2002年、株式会社金沢大地を設立。「千年産業を目指して」を理念に、環境保全型農業を営む。耕作放棄地を中心に耕し、石川県の金沢近郊と奥能登地域にある日本最大規模の農地で、米、大豆、大麦、小麦、蕎麦、野菜等を有機栽培。自社有機農産物の加工・販売で、農業の6次産業化にも積極的に取り組む。

「金沢大地」データ

従業員数:22名
株式会社金沢大地HP: https://www.k-daichi.com