Update : 2025.11.30
れんこんの生産量が全国一を誇る茨城県。その中でも、利根川の河口に広がる肥沃な大地と、霞ヶ浦の清らかな水に恵まれた稲敷市は、白く美しいれんこんが育つ産地として知られている。
この白さを「美肌れんこん」と名付け、地域の特色を価値に変え、全国へ発信しているのがれんこん三兄弟だ。れんこんを“作る”だけではなく、「どう届けるか」「どう喜ばれるか」まで踏み込む姿勢が、ブランドとしての存在感を押し上げている。
「れんこん三兄弟」の宮本兄弟
現在のれんこん三兄弟は、42ヘクタールもの畑を管理し、年間約700トンのれんこんを生産する規模へと成長した。県内外のスーパー、飲食店へ安定して供給できる体制が整っている。
代表・宮本貴夫(みやもと たかお)さんが一貫して大切にしているのは、「掘りたてのおいしさを、そのまま食卓に届けること」だ。
取材に訪れた九月中旬。厳しい残暑の残る畑では、黙々と収穫が続いていた。水圧を使い、折れないように慎重に掘り進めていくと、泥の中からひときわ白いれんこんが姿を現す。
「れんこんの肌が茶色くなるのは、鉄分を多く含む土壌の影響なんです。一方で稲敷の砂地は有機物が豊富で水もちがよく、鉄分が少ない。だから白さが際立つんです。」
この地域の風土そのものが、れんこんの個性を育てている。
1枚目:代表取締役 宮本貴夫氏
2枚目:稲敷の砂の土壌
れんこんには「冬が旬」というイメージがある。しかし実際は、品種ごとに初夏から春先まで幅広い表情を見せる。宮本さんの畑では「A-1(エーワン)」「幸祝(こうしゅく)」「金澄(かなすみ)」の三品種を栽培。それぞれの旬を見極め、最もおいしいタイミングで出荷している。
季節に応じて品種が異なる
「品種の違いもありますが、大きいのは“食感”。生育のステージによってシャキシャキしたり、後半はホクホク感が強くなってきたり。その違いをプロとして見極めながら栽培しています。」
収穫期間は約9か月。「長い季節の変化と向き合う」ことが、れんこん生産の難しさであり面白さでもある。宮本さんが“おいしさ”に拘る理由には、食べる人の「生の声」があった。
れんこん三兄弟の原点は、祖父から父へ家族で続けてきた家業。長男の宮本さんは、そこに「経営」の視点を持ち込みたいと考えた。「自分たちのれんこんは、他と何が違うのか?」その答えを求め、調理する人・食べる人を訪ね歩いた。
「出荷したれんこんがどう使われているのか、本当においしいと思ってもらえているのか、知らなかったんです。話を聞いてみると、想像を超える料理にアレンジされていて驚きました。」
とりわけ大きな気づきとなったのが、“畑の伝道師”と呼ばれるイタリアンの渡邉明シェフとの出会いだ。夏どれのシャキシャキとした食感を生かしたカルパッチョ、細かく刻んで挽肉のように見立て、風味を楽しむボロネーゼなど、料理人の手で無限の表情を見せていた。
「自分たちがまだ知らないれんこんの魅力が、こんなにあるのか」と気づかされた。
さらに宮本さんが「輪切りではなく縦切りにすると食感が変わる」と伝えると、渡邉シェフはその場で縦切りフリットを考案。瞬く間に人気メニューとなった。
生産者と料理人、そして食べる人が情報を交換し合うことで相乗効果が生まれれんこんの可能性は大きく広がった。
「美肌れんこん」を使った料理
「収穫して箱に詰めて終わりではなく、食べる人の声を聞かないとゴールが見えない。そこが、最初の大きな転換点でした。」
食べる人のことを考えた生産を行ううえで、欠かせない要素が“鮮度”だ。
宮本さんによると、葉物野菜とは異なり、根菜であるれんこんはコールドチェーンが完全ではなく、店頭に並ぶまでの物流工程のどこかで常温にさらされる時間が生じてしまうという。
実際に販路を広げるため各地を回っていた際、掘りたてのれんこんを食べてもらっただけで「こんなにおいしいのか!」と驚かれることが多かった。鮮度の違いが、そのまま“味の違い”として伝わっている証でもあった。
どれほど土づくりや品種選びにこだわっていても、食べる瞬間に鮮度が落ちていては意味がない。そこで宮本さんは、収穫直後から発送までの間、れんこんの温度と状態を徹底して守る出荷体制づくりに着手。
そして2025年。最新鋭の出荷場を稼働させた。畑ではまず、れんこんが日差しで温まらないよう、収穫直後から布で覆い、そのまま予冷庫へ。十分に冷却したあと、根や不要な部分を手作業で丁寧にカットする。続いて泥を落とす洗浄工程、箱詰めへと進み、まるで工場ラインのように作業が流れていく。
れんこんは大きさも形も一本ずつ異なるため、カットや洗浄など“品質を見極める工程”は機械化が難しい。そこで、人の目と手を要する部分はそのまま残しつつ、氷詰め・選別・仕分けといった工程は大胆に機械化。
「箱詰めするれんこんは4キロで、そこに氷を4キロ入れるので総量は8キロ。出荷のピーク時期には、一日最大1500箱。これをすべて人力で仕分けするのは、かなりの重労働なんです。」
1枚目:予冷庫を備えた出荷場
2枚目:泥の洗浄やカットは人手を使って行う
3枚目:箱詰め等を行う機械エリア
“人でしかできない工程”に人員を集中させ、機械化できる部分は徹底して効率化する。その結果、畑で掘り上げてから数時間以内に氷詰めまで進む体制が整った。
発泡スチロールでの出荷は、これまで気温が上がる夏場だけの対応だった。冬場はコスト面を考慮し、段ボール梱包が当たり前だったという。
ところが、れんこん三兄弟の“鮮度を保ったまま届く品質”が評価され、スーパーのバイヤーから「資材代がかかっても、この鮮度を冬場も維持してほしい」という声が上がるようになった。
こうして、通年での発泡スチロール発送が実現。宮本さんは、その背景には生産者と小売、そして消費者が同じ方向を向き始めたことがあると語る。
氷詰めにして発泡スチロールで出荷
「こちらの思いだけでなく、実際に扱ってくれる人たちの声が鮮度の価値をさらに押し上げてくれました。」
食べる人との対話を軸に進化してきたれんこん三兄弟の経営。取引先の拡大とともに、家業は“農業経営”としての形を帯び始めた。
宮本さんが強く意識してきたのは「農業を志す若者が輝ける場所をつくる」こと。新しい発想を持つ若い人材が成長できる環境を整え、農業そのものの魅力を再定義しようとしている。働くスタッフの言葉には、その変化が宿る。
若手が働きやすい職場づくり
新海さん(生産部門・入社10年目)
「入社当初は農業に興味がなかったがいまではいいれんこんが出来たときは幸せを感じるし、食べる人たちの喜ぶ顔が思い浮かぶ。」とれんこん生産への自信を語る。
出荷部門に携わる鷹橋さん(出荷部門・入社6年目)
「やはり農業は重いものを持ったり、体を使う事が多い。こういったツライものをいかに改善していくか。そこに注力していきたい。」と語った。
1枚目:新海さん(生産部門・入社10年目) 2枚目:鷹橋さん(出荷部門・入社6年目)
宮本さんは、
「僕たち3兄弟を育ててくれた農業が“斜陽産業になりつつある”と言われているが、食料生産を安定させることが農家の使命。これまで培った消費者との絆をさらに大きなものに広げながら、将来的には大学生の新卒生が就職先に選ぶようになってほしい。」と農業を産業にしていきたいと語った。
家業を“経営”へと進化させてきた宮本さんの視線は、次に“生活者のもっと近く”へ向けられている。
その一歩として考えているのが、れんこん料理を気軽に楽しめる飲食店の展開だという。生産者の視点をもつ店だからこそ、その時季に最もおいしい品種や、収穫直後の食感の違いをダイレクトに伝えることができる。
れんこんチップ
さらに、日々の食卓にれんこんを取り入れる“ハードル”を下げるため、下ごしらえの手間を省いた半加工品づくりにも着手。その足がかりとして生まれたのが、れんこんを薄くスライスして揚げたれんこんチップだ。サラダのトッピングにも、子どものおやつにも使えると評判で、「まずは一口、れんこんの魅力に触れてほしい」という思いが形になった商品でもある。
さらに、視線は、生産拠点にも向けられている。稲敷市だけにとどまらず、将来的には他県、そして海外にも生産拠点を広げ、れんこんの可能性そのものを拡大したいと考えている。
「世界の人たちがれんこんを食べて、健康で幸せな生活を送れる未来に歩み寄りたい。」
れんこんが泥の中から姿を現すまでには、数えきれない手間と技術が積み重なっている。その工程ひとつひとつを見つめ、「もっと良くできるはずだ」と問い続けてきた宮本さん。
鮮度を守る仕組みづくり、品種ごとの違いを生かす戦略、そして食べる人の声に耳を傾ける姿勢。現場の仲間とともに積み重ねてきた小さな努力が、れんこん三兄弟の“大きな強み”になっている。
泥まみれになりながら、宮本さんは 今日も挑戦を続けている。
仲間と共にれんこんの可能性拡大を目指す
1977年、れんこん農家の長男として茨城県に生まれる。順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科卒業後、茨城県内の中学校で3年間体育非常勤講師として教鞭を取る。
2003年、兄弟3人で実家に就農。三兄弟で父の下、5年間れんこん栽培のノウハウを学ぶ。2008年「宮本兄弟農園」設立。2010年には父親の経営体かられんこん部門を完全に独立させ、「株式会社れんこん三兄弟」を立ち上げる。現在は代表取締役として、営業活動と農業関連イベントに奔走中。
年商:2億5千3百万円(2025年5月期)
従業員数:40名(社員・実習生・パート含む)
れんこん三兄弟HP: https://renkon3kyodai.com/