山形新幹線の終点新庄駅から車で15分ほど、山形県北部の奥羽山脈と出羽山地に囲まれた地域に鮭川村がある。村の真ん中を鮭川が貫く盆地にある村は、湿度が高く冬は県内随一の豪雪地帯となる。この気候により多様なきのこが育つ当地域では、冬の仕事として昭和30年代後半からきのこ栽培が始まり、現在では東北随一のきのこ産地となっている。
株式会社最上まいたけ(以下、「最上まいたけ」。)は、この鮭川村で早くからきのこ栽培への取り組みをはじめ、積極的に自社での加工・販売を進め、経営の多角化に取り組む。2020(令和2)年には「J-GAP」を取得したうえ、新工場である「ならやまファーム」を竣工、菌床製造や調製施設を整備し、椎茸、舞茸の安定した生産の拡大に取り組む。
今回は、当機構が主催する「東北食農塾」に参加いただいている同社の常務取締役である荒木賢人(よしひと)さん(以下、「賢人常務」。)に、きのこ生産への取り組みや今後の事業展望等についてお話を伺った。
賢人常務の父親である荒木正人代表取締役(以下、「荒木代表」。)が養蚕と稲作からえのき茸の周年栽培に切り替えたのが1976(昭和51)年のこと。養蚕のきつい作業で家族が体調を崩すのを見かねた荒木代表が、先行して栽培を始めていた地元生産者グループの影響を受けて事業転換を行ったという。
試行錯誤を経てえのき茸の栽培を始めた荒木代表だったが、はじめの頃は、地元グループと別に単独での販路開拓を開始せざるを得なかった。当時、えのき茸は市場を拡大している真っ只中で、目の前の販売先はまだまだ限られており、地元グループとしても、新規参入者を受け入れることは難しかったようだ。
その後、価格が伸びなくなったえのき茸に代わるものとして荒木代表が着目したのは、当時、まだ安定した栽培が広まっていなかった舞茸だった。試行錯誤の末、1982(昭和57)年に、えのき茸から舞茸中心の生産に切り替えることになったという。全国的に舞茸の人工栽培が定着したのが1980〜1981(昭和55~56)年とのことであり、荒木代表はまさに先駆者として、あらためて市場開拓という課題に取り組んでいった。
もともと「幻のきのこ」とされ珍重されていた舞茸だが、それゆえ旬に食べるイメージから離れられない。消費者にとっては、珍しいものだから食べ方もわからない状況のもと、市場の開拓と需要の創造は必須だった。
このため、荒木代表は、えのき茸以上に夏場の需要が伸びない舞茸を乾燥舞茸に加工、これをギフト市場に展開することを発案する。さらに、全国のデパートやスーパーで試食販売を繰り返し、生鮮舞茸と乾燥舞茸のプロモーションを続けていったという。これらの消費者の声を現場で聞き続ける取り組みは、後のヒット商品となる「炊き込みご飯の素『釜めし膳』」の開発にもつながる。その後、舞茸の安定栽培を確立したことで経営は安定し、1990(平成2)年には社名を現在の「最上まいたけ」に変更した。
現在、最上まいたけでは、生鮮きのこの他、乾燥きのこ、ごはんの素、水煮とさまざまな加工を行う。加えて、コロナ禍での消費者の購入スタイルの変化に合わせ、スーパー等の総菜向けの加工素材(舞茸の天ぷら用調製やぶなしめじの学校給食用のほぐし加工等)の提案にも積極的に取り組んでいると話す。
現在、最上まいたけで生産しているのは、舞茸、椎茸、やまぶし茸の3種類。やまぶし茸は中国や北米、日本に広く分布する食用きのこで、海鮮に似た歯ごたえと栄養価の高さで、中国では珍味として愛され漢方としても珍重されているという。一般的に苦味やえぐみが強いのが難点だったが、荒木代表が偶然地元の山の中で見つけた苦味の少ないやまぶし茸の種を栽培したのが同社のやまぶし茸栽培のルーツで、その味には絶対的な自信を持つ。
このやまぶし茸は、全国でも生産者が数軒程度と非常に珍しい状況のなか、その味と展示会等での積極的なプロモーションが功を奏し、一般小売の拡大に加え、水煮加工品の学校給食等での採用も始まっているという。ただし、やまぶし茸は日持ちがしにくく、包装の工夫等も行っているものの生鮮での流通にはまだ課題も多いようだ。
また、同社の主力商品であるオリジナルブランドの「とび色舞茸」も、荒木代表が偶然発見した自生舞茸をもとに開発したものだ。舞茸の営業を続ける中、料亭などから「舞茸は料理した時に色が落ち、煮汁が黒くなったり天ぷら油が黒ずんだりしてしまう」という相談を頻繁に受けたのがきっかけだったという。とび色舞茸は、しっかりした歯ごたえと天然物に近い味わいを持ちながら料理の見た目を邪魔しないことが高く評価され、旅館や料亭に愛される商品に成長した。
地元に戻り、このように独自商品のバリエーションを広げる最上まいたけの事業に参画することとなった賢人常務は、まずは営業担当としてすべての取引先を回り、話を聞くことから始めたという。その中で気づいたのは、自社の商品は質が良い点が評価されていること、顧客は必ずしも安価なものばかりを求めているのでないこと、さらに顧客は自社に限らずさまざまな種類の質の良いきのこを求めていることだったと振り返る。
もともと鮭川村にはきのこの生産法人が多く、常時、複数のきのこを揃えることが可能だ。同社が地域で質の良いきのこを取り揃える商社機能も持つことで、他県の大手企業と価格や量で戦うのでなく、この地域ならではの価値を提案し独自のポジションを獲得することに注力したと話す。
さらに、賢人常務の需要創造活動は食用分野に止まらない。舞茸の再利用菌床を栽培キットとして販売し、自らきのこを育てたいという根強い需要に結び付けたほか、水分が多く残るため処理しづらい椎茸やなめこの廃菌床を家畜飼料や農業土壌資材として加工、商品として開発する研究を大学や地元の研究機関と続け、データも揃いつつあると自信を見せる。
廃菌床の活用は、言うまでもなく今日的な循環サイクル確立のニーズを捉えたものであり、もともと食品微生物の研究をしていた賢人常務ならではの先を見通した着眼点とも言えよう。
賢人常務の経営参加により、さらなる成長に取り組む同社は、今回のコロナ禍ではEC取引にも着手した。
もともとデパート催事など消費者と直接触れあう場に積極的に参加してきた最上まいたけだが、対面ではないECでの取り組みは「拡がりが見えにくい」と賢人常務は分析する。通年で栽培されるきのこはコモディティとして扱われてしまい、わざわざ取り寄せる通販商品として選ばれにくい点で、まだ目覚ましい効果にはつながっていないという。このため、きのこ単品よりもきのこ加工品、地元の野菜などと合わせたセット販売やコラボ商品にさらなるチャンスがあるのではないかと、次への取り組み拡充を構想する。
一方、ポケットマルシェや食べチョクといったサイトに出品を重ね観察を続けていくと、選ばれにくいと分析したきのこだがリピーターが存在すること、中には定期的に購入する顧客も出てきたことがわかってきた。EC取引での課題を把握、分析のうえ、社内の体制を整えるとともに、YouTubeでのレシピ動画の提供を継続する等、ネット経由でのアプローチの強化も続けていると語る。
「きのこも、作り手が違えば味が違うんです」と、味の点では、賢人常務の説明に力が入る。きのこを栽培する培地も生産者によりそれぞれで、その地域の環境や生産者が作り込みを目指す水準等で味が変わるのは当然といえば当然だ。しかし、「天然」のきのこに対し、「工場」で作られるというイメージの強い菌床栽培では、消費者に「同じきのこなら味も同じ」という思い込みを生んでしまいがちのようだ。きのこマイスターの資格も持つ賢人常務は、味の違いをいろいろな形で伝えていくことを進め、EC取引も含め消費者とキャッチボールができるようになることを目指していると話す。
さらに、賢人常務は、この春、地元最上地域を中心とした若手きのこ生産者6名とともに、「Professionalきのこ山形」という団体を立ち上げた。かねて栽培技術を高める研修を一緒に行ってきたグループが基盤となっているとのことだが、販売ルートの共有やイベント、SNSでの情報発信等を通じ、きのこの魅力を伝えていくことを目指す。
もともと生産法人がそれぞれ販売ルートを構築し、小さいながらも多様で力強い生産者が多い地域ということを活かし、ともに手を取ることで、きのこを核に活力ある地域を作ろう、という取り組みにしていきたいと話す。そして、この地域の取り組みを県内全域に拡げ、さらに全国のきのこ生産者にもつながればと目標は大きい。
「きのこ(菌の世界)は細かいところがわからない、出てくるまで見えない。わからないことだらけでおもしろいんです」と賢人常務は笑う。
経営者であり、営業担当者でもあり、研究者でもある、たくさんの顔を持ち、そのそれぞれの立場からきのこの魅力を余さず伝えていこうという賢人常務の取り組みから目が離せない。
(中部支部事務局長 内田文子)
<会社概要>
会社名 :株式会社最上まいたけ(https://mogami-maitake.co.jp)
代表者 :代表取締役 荒木 正人
所在地 :山形県最上郡鮭川村大字中渡82
従業員数 :34名(令和2年9月現在)