2020年3月30日
ニュースソクラ 農業ジャーナリスト、山田優
和牛の子牛価格が急降下している。新型コロナウイルスの混乱が事態を悪化させている側面はあるが、根っこはもっと深い。しばらく続いた和牛バブルがはじけたと見るのが正しい。政府が農産物輸出拡大の切り札として大増産を見込む和牛の業界は、大きな困難に直面する可能性が高い。
牛肉生産は出荷するまでの飼育期間が長いため、親となる雌牛を飼って和子牛を販売する繁殖農家と、子牛を買い入れ肉牛に太らせ販売する肥育農家に分かれる。高級な和牛肉の消費が拡大し、枝肉価格が堅調に推移したことから、和子牛価格は2009年ころから上昇機運に乗っていた。子牛価格の上昇で繁殖農家は潤い、枝肉価格上昇で肥育農家ももうかった。業界全体に活況が満ちあふれた。
数字で確認してみよう。
2008年頃を底値に子牛価格は上昇し、直近でピークをつけたのが、2016年の第4四半期。農水省のデータでは1頭平均価格が85万1400円だった。4年間で倍値に駆け上ったことになる。
50頭以上(法人は100頭以上)の繁殖農家の2018年の農業所得は、1700万円を超え、200頭以上500頭未満(法人は300頭以上1000頭未満)の肥育農家も2000万円近い所を稼ぎ出した。酪農や養豚も同様に好調で、日本の畜産業界全体が空前の好景気に沸いた。「畜産地帯で面白いように高級車が売れている」という話も聞こえてきた。
なぜ、和牛バブルは発生したのだろうか。
「中小の繁殖農家が廃業し和牛供給が絞られた。このため牛肉需要に追いつかず、枝肉価格が上昇。子牛価格の高値も続いた。国内の和牛生産基盤が弱体化しているにもかかわらず、表面的には業界を巻き込んだバブルとなった」と説明するのは日大の小林信一教授(畜産経営学)だ。
規模の大きい畜産農家はバブルの恩恵を被ったものの、繁殖用雌牛を数頭しか持っていない零細農家の恩恵は限定的。高齢化などを理由に事業継続をあきらめるケースが目立つ。
最近の子牛価格の低迷は、和牛枝肉価格の下落が原因だ。象徴的だったのが2019年末。通常なら年間で一番の需要期に異例の値下がり相場となった。景気の後退や若者などに浸透する赤肉ブームが、霜降りを特徴とする和牛肉に逆風になった。その後も新型コロナの影響で高級外食店の需要が急減、和牛需要の回復が見通せない状態が続いている。
枝肉を出荷する肥育農家の収益性が低下すれば、子牛の仕入価格に回すお金は減る。当然、子牛の値段が下がって、繁殖農家の経営に打撃となる。
2020年3月末の時点で和子牛価格は60万円台まで低下した。多くの繁殖農家にとってはこの水準でも利益は出るが、子牛市場関係者の間ではさらなる下落を予想する声が強い。30年以上前には10万円近くまで暴落したこともあった。現時点で底値を予想することは難しい。
一方で肥育農家はさらに厳しい。高値で仕入れた子牛を育て出荷するが、販売する段階で枝肉価格が安ければ、赤字になってしまうからだ。
繁殖、肥育農家向けに生産費を下回る販売価格となった場合に、赤字の一部を補てんする国の支援策がある。当面は、値下がりに対して農家の負担を軽減する効果が期待できるものの、万能ではない。
価格低迷が長引けば、補てんの基準となる価格が下がり、一方で、補てん財源として積み立てる生産者負担分が増える。収益が減る中で、こうした負担に耐えられない農家の廃業は確実に増えるだろう。
和牛買いをめぐる経済環境は急激に悪化している半面、政府は近く決める酪農肉用牛近代化基本方針で、2030年までに肉用牛の飼養頭数を現状から2割以上増やす計画だ。和牛に限ればさらにハイペースの増頭を目指す。
攻めの農業を掲げる政府は輸出などで和牛の需要は拡大すると見込んでいる。増頭奨励金の他、一気に大規模経営を可能にする畜産クラスター事業の拡大などに多額の予算をつぎ込む姿勢を変えない。バブル崩壊を前にアクセルをふかしまくるような政府の増産政策は、危うさを抱えているように見える。
「畜産農家は無理な規模拡大の投資よりも、急速に膨らんだ負債の圧縮や地道なコスト削減の取り組みが必要だ」と小林教授は警告する。1980年代から90年代にかけて肉牛や酪農など畜産業は大不況の波をかぶり、多くの農家が破産した苦い経験がある。「行け行け」の音頭に踊らされず、自らの経営を冷静に見つめ直す経営判断が必要だろう。
(ニュースソクラ www.socra.net)