2022年5月30日
ニュースソクラ 農業ジャーナリスト、山田優
食料の激しい値動きは、珍しいものではない。農産物は干ばつなどの気象災害に弱い。主要国で被害があると穀類の需給ひっ迫は避けられない。一方で価格の高騰は農家の生産意欲をかき立て、比較的短い時間で需給緩和に向かう。国際市場で神の手が働くからだ。ロシアのウクライナ侵攻で火がついた今回の価格高騰は、これまでのシナリオが通用しないかもしれない。
食料価格高騰の深刻さを示す基準の一つに「輸出規制」の広がりがある。食料需給がひっ迫し国際相場が上昇し始めると、国内の供給不足を懸念する輸出国の政府が、海外への販売を禁じたり、輸出数量を規制したりするケースが増える。
国内消費者を価格値上がりから守ろうと、これまでも多くの国が輸出規制をしてきた。国内に政情不安を抱えているなど開発途上国に多いが、過去には米国なども発動したことがある。
短期的には国内価格の沈静化につながるため、国民受けする政策と言える。しかし輸出規制をする国が増えると、国際社会でパニック感が広がる。輸出国への信頼感が揺らぎ、各国で買い占めが始まると価格を押し上げる。それがさらに新たな輸出規制を呼ぶ悪循環だ。主要7カ国首脳会議(G7)などは、国際社会に向けて安易な輸出規制に走らないよう呼び掛けているが、実際には自国ファーストの流れを断ち切るのは難しい。
世界銀行系の国際食料政策研究所(米ワシントン)が、輸出規制に関した面白いグラフをウェブサイトに掲載している。食料危機に直面した時、貿易に回る世界の食料(カロリー換算)の中、輸出規制国が占める割合を示したものだ。
2008年の食料危機の時には、もともと食料の7%ほどで輸出規制されていたが、ピークには17%に跳ね上がった。ただし、長続きせず1~2週間で12%に下がった。しばらくこの水準が続き、徐々に割合は低下に転じた。
同じように新型コロナウイルスで混乱した時にも、割合はピーク時に8%近くまで上昇したものの、2カ月ほどでほとんどゼロに落ち着いた。
2022年の危機は、ロシアがウクライナに侵攻した2月下旬に一気に輸出規制が広がり、6%から2008年水準の16%に急上昇した。
今後その割合が下がるのか、それとも維持、上昇するのか。輸出規制の行方は、ウクライナ食料危機が一過性で収まるかどうかを示す指標となりそうだ。
第2次大戦後の食料危機の多くは、主産地の天候不順などがきっかけになることが多いが、今回はさまざまな原因が絡み合う複合型だと考えている。
ロシアによる侵攻前の2021年から国際食料需給はひっ迫が始まっていた。米国や南米などで干ばつ被害が広がるなど、天候不順の影響が大きいと言われている。
さらに新型コロナのパンデミックで、産地の収穫や加工、流通が大きく乱れたことも挙げられる。コンテナやトラックが不足し、食料貿易は物流の面から麻痺状態が続いた。
追い打ちをかけたのがウクライナへのロシア侵攻だ。両国で世界の小麦貿易の3割を占める。ウクライナはヒマワリ油の世界最大の輸出国で、トウモロコシ貿易でも有力な国。戦火による打撃でウクライナは輸出手段の大半を失い、ロシアも西側の経済制裁で食料輸出の足を引っ張られた。両国の穀類に依存してきた中東や北アフリカ、欧州などで品薄状態が深刻だ。
もう一つ忘れてはいけないのが、肥料分野の混乱だ。
中学校の理科で習ったように植物は窒素(N)、リン酸(P)、カリ(K)の3要素が成長には欠かせない。農作業は牧歌的に見えるかもしれないが、近代農業は大量の肥料を適時に適量散布することで成り立っている。その肥料原料の供給が怪しくなっている。
世界最大の肥料供給国はロシアだ。広大な国土の地下資源と豊富なエネルギー源を武器に、国際市場で存在感を増してきた。ウクライナ侵攻前から肥料原料の輸出制限を始め、3月以降になると制限を強化。「西側の経済制裁が原因で供給が滞っている」と主張しているが、対抗措置の武器として肥料原料を使っているとみられる。ロシアと同じように経済制裁を受けているベラルーシも肥料原料の輸出大国で、こうしたあおりで世界の肥料市場が大きく混乱し、各地で肥料価格が急騰している。
作物の場合、国際価格が上がれば各国で生産意欲を刺激し、需給均衡に向かうのは、これまでの例が証明している。しかし、肥料は全く事情が異なる。資源を抱える国が一握りに限定され、価格上昇でも増産が難しい。
筆者は世界最大級と言われるカナダのカリ鉱山を2012年に訪ねた。地下1000メートルの現場に降りると、網の目状に広がるトンネルの先端で鉱石を掘り出していた。運営会社によると、新たに鉱山を開発するには、最低でも構想から10年、日本円で3000億円以上の投資が必要になると言う。価格メカニズムに神の手が働きにくい構造がある。
肥料供給の混乱が長引けば、世界の食料生産にとっては大きな痛手だ。最初に影響が出るのは、値上がりした肥料を買えない貧しい国々。そして食料生産の停滞を通じて、先進国の食卓まで影響が及ぶだろう。
「最大の問題はいつまでウクライナの戦争が続くかどうか。各国とも最低2カ月ぐらいの備蓄は持っているためパニックは起きていないが、戦争が長引けば混乱はさらにひどくなる可能性がある」
日本国内で長く穀物取引に関わる商社関係者は、資源大国同士の戦争という未体験の事態を前に、先を読み切れない不安を語った。
(ニュースソクラ www.socra.net)