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2022年6月28日

食料安保を万一の時のカロリー確保にとどめるな

ニュースソクラ 農業ジャーナリスト、山田優

 ロシアの軍事侵攻、新型コロナウイルスの感染拡大を契機に、食料の安全保障に注目が集まる。万一の際に国全体で食料をどう確保するのか、食料自給率を高めていくのかが議論の焦点。しかし、国際社会では、一人ひとりが健康で文化的な食事にありつけることが食料安保の究極の目標だ。不測時の供給だけにこだわるのではなく、食料への権利という視点が欠かせない。
 日本で食料安保が盛り上がるのは、食卓に上る商品が値上がりする時に限られる。古くは1973年の大豆ショック。最近では世界各地で暴動や農地買い占めなどが話題になった2008年の食料危機がある。今回も干ばつで米国やオーストラリアなどの減産、コロナ禍による物流の混乱などにロシアの侵攻が加わり、世界中で植物油や小麦など食料価格が急騰している。
 食料安保は主要国(G7)首脳会議など国際政治や、国内でも参議院選挙の主要な争点のひとつ。与野党は一斉に肥料の値上がり対策などを掲げ、食料品値上がりを抑えていくことを公約に盛り込んだ。

 世界を見渡せば、飢餓はごくありふれた光景だ。開発途上国を中心にして10億人近い人々が、日常的な食料不足に直面している。日本の政治家たちにとって、それは心を痛める課題ではあるものの、自分たちの政治基盤を掘り崩す問題ではない。
 食料品価格が落ち着きはじめると食料安保の議論は主要な政治課題の場から退場し、「対策」の多くも一時的なものとして忘れ去られてしまうことの繰り返しだ。

▽バイデン大統領主催の会議

 食料安保が危機対応に軸足を置いている限り、「喉元過ぎれば」になってしまうことは避けられない。だが、経済格差による食の貧困が進む中で、食べものを安心して手に入れることは、身近で大切な課題であるはずだ。国際社会では、日本とは違うかたちで食料安保の議論が進む。
 米バイデン政権は国内の飢餓対策を強化する。ニクソン氏以来50年ぶりという大統領直轄の会合を9月にホワイトハウスで開き、2030年までの米国内の飢餓根絶をめざすことになった。バイデン氏は5月の演説で「次の食事をいつとれるか分からない人々」が数多く国内に存在することを認めた上で、困窮者への食料支援と国民への栄養指導を強化すると強調した。
 米国では4000万人を超える人たちを対象に毎月食費補助金が支給される仕組み(SNAP)がある。全米人口の1割を超す人たちが受給者だ。CNNなどの米メディアは、ニクソン氏による50年前の対策がフードスタンプ(その後のSNAP)や学校給食制度の大幅な充実に結びついたとして、今年のバイデン政権による新たな飢餓対策に注目する。
 一方の日本。食の貧困に詳しい阿部彩東京都立大学教授は「米国の経済格差は先進国で図抜けて大きく、必ずしも社会保障のお手本とは言えないが、貧困の存在を前提として、食料政策も作られている」と解説する。日本以上に自己責任を求める米国で、最低限の食生活は連邦政府や州政府が保障する仕組みがある。

▽貧困の広がり深刻

 貧困の広がりは日本でも深刻。阿部教授によると、経済困窮者の食生活は悪化する傾向にある。所得が伸び悩む中で、食料品だけではなく光熱費やガソリン代の値上がりが直撃する。「他の必要経費を削減するのが難しく、食生活にしわ寄せされている」(阿部教授)のが現実で、さまざまなアンケート調査などでは、肉や野菜がほとんど食卓に上らなかったり、食事回数が少ない家庭も多かったりする。
 国連食糧農業機関などは、食料安全保障を物理的、経済的の両面で、健康で生産的な生活を送るための十分な食料を日常から得られることと位置づけている。
 米国は豊富な農業生産で、十分な食料自給率を保っていることが明白。それでも多額の税金を注ぎ込んで困窮者の食生活を支援し、期限を切って飢餓根絶をめざそうとしている。国家全体で十分な供給が確保されても、個人のレベルまで十分に食料が届いていなければ、食料安保の目的は達成されないと考えるのが国際社会の常識だ。
 日本では今、食料があふれている。国としての供給は十分で日頃から食料安保の危機を感じる人は少ない。一方で、健康で文化的な生活を保障した日本国憲法にふさわしい食料に手が届かない人たちが数多くいる。政府も食料自給率向上を訴えるJAも、こうした権利の侵害と食料安保を結びつける立場にないように見える。
 「万一のための国の備え」と狭く考えている限り、食料安保の本当の課題は見えてこない。食料への権利を、どうやって落ちこぼれなく守るのかという議論にまで広げていくことが必要だろう。

(ニュースソクラ www.socra.net)

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