2024年5月16日
(公財)流通経済研究所
農業・物流・地域部門 部門長/主席研究員 折笠 俊輔
人材の採用と育成は難しい。特に農業法人の場合は圃場という現場作業があるため、採用した人が持つ労働環境のイメージ(太陽の下で、のびのび働ける的な…)と実際の現場のギャップ(雨の日も、寒い日も、暑い日もあり、泥などで汚れることもある)もあり、採用と育成が難しいところもある。
こうした「働く人(労働者)」に対して、どのように経営者がアプローチしていくべきか、という課題は、農業のみならず、様々な産業で世界的に経営者の頭を悩ませてきたのである。
EUでは、単純労働や単調な作業の繰り返しによる労働者の疲弊を「労働疎外」、「人間疎外」と呼び、労働の人間化が研究されてきた。これは、労働生活の質と生活の質の両方を高めることで、人間的な労働環境を整備しようとする運動であった。今の時代風に言えば「ホワイト企業になろう」と言ったところだろうか。
この労働の人間化には、しっかりとした報酬がもらえること(生活の質の安定)は当然として、社内外で感謝されることや、自分のスキルアップなども含む自己実現などを通じた、いわゆる「生きがい」や「働きがい」といったものが重要であると言われている。
労働の人間化において、対応策としてジョブ・デザインという考え方がある。何も考えず、同じことだけを繰り返す単純労働は、継続するほど労働者のモチベーションが下がってしまう。
そのため、ジョブ・デザインとして職務拡大と職務充実の2つのアプローチが有効とされている。
職務拡大は、1つだけの単純な作業の繰り返しを是正して、いくつもの作業を行うようにすることである。職務充実は、指示を受けて、その通りにするのではなく、自分なりの工夫の余地を大きくすること、自律性を導入することである。
そして、それらの結果やプロセスについてしっかりと評価できる仕組みをつくる必要がある。複数の作業に携わりながら、自分で工夫する余地があり、工夫してうまくいった場合などに、ちゃんと評価されることが「やりがい」につながるのである。
マズローの5段階欲求という考え方がある。この考え方は、人間の欲求は生理的欲求・安全の欲求・社会的欲求・承認欲求・自己実現の欲求の5つの階層に分けられるとされ、マーケティングなどを中心にビジネスにおいても幅広く活用されている。
もし、あなたの会社が従業員の生理的欲求(生きていくための収入が欲しい)や安全の欲求(安定して働きたい)しか満たしていない場合、同じ欲求が満たせるのであれば、容易に他の事業者に転職してしまう可能性がある。同じ正社員で収入が保証されているのであれば、少しでも給与が高い会社に移るほうがよりその欲求が満たせるためである。
しかし、ここで周囲との人間関係がしっかりできているなど社会的欲求が満たされている場合は、他の会社に移ると人間関係がリセットされてしまうことがリスクとなるため、転職せずに働き続けるきっかけになるかもしれない。
あるいは、自分の仕事が評価され、認められることで承認欲求が満たされている場合や、今の農業法人の仕事で自分の何かを達成して自己実現の欲求が満たされている場合は、それが「やりがい」や「働きがい」につながるため、今の組織で働き続けるモチベーションになるだろう。
つまるところ、安定雇用と十分な給与を出すことだけが、従業員の定着率を高めるのではなく、会社内の人間関係の構築と、働きぶりに応じた評価の仕組み、個人のスキル向上も含めて、仕事を通じた自己実現を叶えていく組織の仕組みづくりが最も重要だと言えるだろう。