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食×農の現場から
REPORT | 2023年11月18日

「社員にとっても良い会社でありたい」ネギの生産から加工の一貫運営で成長を続ける! 〜氏家農場(宮城)

今回は、これまでも本欄でご紹介してきた当機構主催の「東北食農塾」のメンバーから、宮城県涌谷町で小ねぎ、青ねぎ、白ねぎを栽培し、2021(令和3)年にカット工場を新設、「ねぎ専門農家」として事業を展開する(有)氏家農場(以下、氏家農場。)の氏家靖裕代表にお話を伺った。

氏家農場代表取締役 氏家靖裕さん

同農場の位置する涌谷町は、仙台から北に車で約1時間程度のところに位置し、仙台平野や栗駒山を一望できる崑岳山が町の中心に鎮座する自然豊かな地域だ。このエリアは大崎耕土(大崎市・色麻町・加美町・涌谷町・美里町の1市4町)と呼ばれ、江合川、鳴瀬川の流域に広がる野谷地や湿地を利用した水田農業地帯として発展。2017(平成29)年には世界農業遺産に認定されている。

大崎耕土の場所(出所:https://osakikoudo.jp/about/place)


氏家農場は、この大崎耕土の一角に圃場を構え、ねぎの生産と一次加工(カットねぎ)、そして販売に取り組む。小ねぎの生産(パイプハウス149棟/約12千坪)をメインに、青ねぎ(パイプハウス14棟/約1千坪、露地2ha)、白ねぎ(3ha)、水稲(7ha)の生産を行う。
2021(令和3)年に、強い農業・担い手づくり総合支援交付金を受けて新設したカット工場ではカットねぎ商品を通年で生産し、東北一円の地場スーパー等に供給する。

氏家農場の圃場(提供:氏家靖裕氏)

水田農業地帯である大崎耕土の一角で、小ねぎ生産とカットねぎ加工に舵を切った背景にはどのような狙いがあったのか、お話を伺った。

氏家農場の成り立ち

氏家農場は、もともと栽培面積2haくらいのコメ農家だったそうだ。コメ主産の地域に1年を通じて収入が確保できる農業の導入に向け、農協職員として、ほうれん草や小ねぎの栽培指導にあたっていた父親(現会長)が1999(平成11)年に早期退職、自ら小ねぎ栽培に着手したのが始まりとなる。
当時、地元では農家の年間所得の確保に向け、ほうれん草や小ねぎの栽培を広げており、実際にほうれん草の産地化が進んでいたという。その中で、現会長が小ねぎに絞ったのは、夏場も含め通年で作れることと連作障害の対策のためだったと氏家さんは解説する。一時、水菜生産も行っていたが、カット工場竣工後の2021(令和3)年9月には終了し、現在ではねぎ類に集中している。

年間の栽培スケジュールとしては、小ねぎの場合、1年通して播種を行うが、寒くなると成長が止まるので、凍らないよう注意しながら、暖かくなって成長が再開する3月〜4月まで、計画的な生産と収穫を維持していくそうだ。
通年で栽培できるとはいえ、この地域の冬はマイナス10℃となるほど厳しい。氏家農場では、冬の栽培のため、ハウスを二重に被覆し、さらにねぎをべたがけ資材で包み三重にすることで、ハウス内をほぼ加温することなく、ねぎ栽培を行っているという。

氏家農場のハウス

健全な野菜作りは、健全な土づくりから

氏家農場では、通年で発生する需要に安定的に応えていくことをビジネスチャンスと捉え、周年で高い品質のねぎを安定的に供給し続けるため、綿密な栽培計画の立案に注力する。

まずは土作りだ。163棟のハウスはそれぞれ3年に1回は休ませ、緑肥をすき込むローテーションを組む。土の健康診断である土壌分析を定期的に行い、圃場ごとに必要な肥料を必要な分だけ使う。また、ねぎの選別時などに出る残渣と近隣の地域資源を利用した堆肥作りも行っている。

出来上がった堆肥は肥料として圃場へ使用することで、余分な肥料を投下することなく、廃棄物を減らす循環型の農業を進める。

氏家農場の堆肥舎

氏家農場の資源循環サイクル

「サステナブルな農業を目指したい」という思いは、生産工程の見える化と管理の姿勢にも表れている。氏家農場では2011(平成23)年にJGAP、2017(平成29)年にASIAGAPを取得。工場もHACCPに基づいた衛生管理を行っており、第三者に対しても生産工程を開示できる仕組みを整備する。

加工工場の新設を決断

氏家農場がカット工場を新設したのは、2021(令和3)年のことだ。それまでは、原体を袋詰めしたものをスーパーで販売することと加工業者に卸すことの二本立てで販売していた。その後、2020(令和2)年には、加工品のニーズもにらみつつ、ねぎの販売を全量加工用に転換するなどの試行錯誤を重ねた。

最近でこそ、当機構ホームページでも取り上げていること京都(株)のように、生産者が自らカット工場を持ち、加工販売する事例も増えているが、当時はまだまだ事例も少なく、着工の決断には大いに悩んだと振り返る。現在でも、東北地方で、ねぎの生産からカット加工、販売まで行う生産者は当社が唯一ではないかと、氏家さんは笑う。

なぜ、氏家農場で加工に踏み切ったのか。氏家さんは3つの要因をあげる。
まずは、利益率を向上させたいという強い思いだ。カットねぎは原体に比べ利益率が高いこと。うどん、そば、ラーメンなどの飲食店などの業務用を中心に年間を通じて決まった需要により、安定供給が出来れば一定の利益確保が見込める。
加えて、こと京都(株)をはじめ、西日本のねぎ生産者が自ら加工を行う事例の拡大を受け、カットねぎ需要の東日本への波及を期待できたこともポイントとなった。
他方、東日本で需要の中心となる白ねぎはカットが難しく、変色もしやすい点がハードルとなった。しかし、新設備の導入と新鮮で状態の良いねぎをカットしてすぐ出荷するモデルの構築で品質保持期間の延長を可能とすることで、品質面の課題クリアに取り組んだと話す。

「自分たちで収穫してその日のうちに選別・調製、翌日にカットして出荷できる加工屋はいないと思います」と自信を見せる。特に、白ねぎはこのリードタイムの差で断面が黄色くなってしまい、見た目も品質も低下してしまうのだという。
カットねぎの市場が広がりを見せる中、自社で生産から加工まで一気通貫に行えるメリットは大きい。「翌日に出荷することで、黄変の問い合わせはなくなりました」と、氏家さんは胸を張る。

氏家農場のカット小ねぎ(写真提供:氏家靖裕氏)

氏家農場のカット白ねぎ(写真提供:氏家靖裕氏)

生産規模に合わせ、市場を選択し、ブランディングする

ここまで見てきたように、農業生産者がカットねぎの六次化に進出するメリットは十分なように見受けられる。しかし、なかなか踏み切る生産者は少なく、氏家さんも、加工事業に踏み出すまで5年くらい構想を練ったという。

「カット工場は、原料のねぎが安定供給できないと原料仕入れが発生してしまうので、躊躇していました」と語る。
生産者が加工することで消費者に与えられる最大のメリットは、鮮度が長く保てることだ。需要に合わせ、ねぎの仕入れに走り回らなければならないようでは本末転倒になりかねず、原料ねぎの安定調達が加工事業スタートのためのベースとなるようだ。

他方、他の生産者からの調達が発生する場合には、カットねぎ加工の特性が理解できていない生産者の意識が障害となるという。加工向けのねぎは、規格外など一般の市場出荷や販売に見合わないものでよいと捉われがちで、それでは仕入れも思い通りにいかない。
氏家さんは、基本的に自社生産のねぎのカットを中心とし、地元のJAなどの宮城県内の生産者団体で関係性が構築できているところに限定して仕入れ、「宮城県産」を前面に出す戦略を取ることにしたと話す。

また、商品ではスーパーに並べるカップタイプのパッケージをメインに、販売先も東北地区のスーパーにターゲットを定める。
需要が大きいのは明らかに首都圏だが、首都圏スーパーへの進出には、現時点では消極的な様子だ。首都圏のスーパーの中には、出荷日当日にエリアに複数ある出荷センターに搬入できないところが出てきてしまう。このため、「すべてのセンターに同じ条件で配送してほしい」というリクエストには応えられず、対応を見送っていると話す。一方、東北エリアなら、全県、出荷日当日に納品できる配送網は構築済みと自信を示す。

氏家農場のカットねぎの消費期限は、出荷日プラス4日(D+4)という。氏家さん自らの営業活動も浸透し、半日でも1日でも長く新鮮な状態で店頭に並べられることが評価され、足下、ちょうどよい需給バランスを保てていると見立てる。目先、徒に販売の拡大を目指すのではなく、この安定したバランスに合った原料生産体制の強化・確立と、加工の効率化を優先したいと冷静だ。

次の問題は人材確保

一方、工場の稼働が始まって2年を経過し、加工販売の体制は整ってきたと話す。現在の工場の稼働は、基本的に1直8時間稼働で、施設面ではまだ余裕があるという。将来的には、パックの白髪ねぎや惣菜コーナー向けのみじん切りなどラインナップも広げていきたいし、そのための施設は整っていると、氏家さんは構想を練る。

カットされたねぎが潰れたり傷ついたりしないよう、その時の状態に合わせて脱水する(写真提供:氏家靖裕氏)

もっとも次の問題は、加工施設の人材確保だ。涌谷町の人口は1.6万人ほど。今の規模から大きくしようとすると、定着して働いてくれる人材が欠かせない。最近、話を聞いたグリンリーフ(株)澤浦社長が作り上げた「外国から来たスタッフが定着し、働き続ける仕組み」に、「ああいう形を目指せれば」と将来を見据える。

加えて、人手はカット工程だけではない。その前提となる調整・選別する内職スタッフも地域の高齢化が進むなか、人材確保に知恵を絞る。
最近では、涌谷町と隣町の障がい者施設に働きかけ、ねぎの選別やコンテナ洗浄の委託での提携を進めている。課題は、施設で仕事ができる日、仕事を希望する日に合わせ、調整を委託するねぎなどの材料が確保されるようにスケジュール管理できるかが、運用上のポイントとなっていると話す。

これらの対応により、現在小ねぎと青ねぎは、工場で受け入れている内職スタッフと障がい者施設でカバーできるようになっており、うまく回っているという。今後は、白ねぎまで外部委託できるようになれば、と次の手を考える。

今後の展望 〜先駆者へのリスペクトと後継者への期待

氏家農場の工場建設の時期は、ちょうど新型コロナ感染症が流行した時期と重なってしまった。建設自体は国の補助事業を活用し、県からも支援を受けられたとはいえ、この時期での新規事業のスタートは通常時よりも一層大変なことだったと推察する。

それでも氏家さんは、「このタイミングで加工事業への展開を決断してよかった」と言い切る。もちろん直接的には、現在の資材高騰による建設費の増嵩の問題を回避できたことは大きいが、加工に踏み切ったことで社員に給与などを還元できるようになり、「社員にとってもいい会社でありたい」と願い続けてきた氏家さんの思いが叶ったからだと力が入る。

グリンリーフの澤浦代表やこと京都の山田代表といった国内トップクラスの農業経営者から直接教えを受け、東北食農塾などを通じて知り合った同世代の農業経営者と切磋琢磨するなかで、サステナブルであるために自社の経営を成長させ続けること、そのためには社員を単なる戦力でなく共に働く仲間として重労働に報いたいという気持ちを自然と抱くようになっていたと話す。

氏家さんは、この加工事業の立ち上げは、決してひとりの力ではできなかったと振り返る。
カットねぎの販売については、先行する九州のカットねぎ販売のノウハウを持つ九州のコンサル会社の協力・助言を得たことで順調に販路を確保することができた。また、こと京都では生産現場も包み隠さず全てを見せてもらったことが大きな自信につながったと話す。周囲の協力を真摯に受け止め、感謝の気持ちを包み隠さず表現する姿勢は、新たな事業を興す際の参考となりそうだ。

一面の田んぼの中に氏家農場のハウスが建ち、鳥が羽を休める

栽培されている小ねぎ。今年の猛暑はねぎにとっても厳しかった

最後に今後の展望について尋ねると、氏家さんは早く後継者に引き継ぎたいと笑う。
氏家さん自身はまだ46歳だが、現在74歳の会長から経営を引き継いだのは11年前だったという。自分が早く経営を引き継いできたからこそ、自分と同じように次の世代にも早く活躍の場を与えたいと話す姿勢は自然体だ。
とはいうものの、氏家農場には、次男の靖裕代表だけでなく、長男と三男の2人も参加し、それぞれ自身の強みを活かして、農場の各分野で活躍する。周囲も、徐々にコメからの転作が増えて来た状況等も踏まえ、工場という大きなリソースとカットねぎで培った販路を活かし、ねぎ以外の野菜の一次加工商品も考えていけたらと、次の一手への意欲は依然、旺盛だ。
コメの主要産地として地域農業を牽引してきた当地において、「ねぎ専門農家」として、新たな分野に挑戦する氏家農場のさらなる飛躍に大いに期待したい。

(中部支部事務局長 内田文子)

企業概要
会社名  :有限会社氏家農場 (https://www.ujiie-farm.com/
代表者  :氏家靖裕
所在地  :宮城県遠田郡涌谷町字小谷地450-1
経営面積 :約21ha(小ねぎ、青ねぎ、白ねぎ、水稲、カット工場)