2022年9月29日
ニュースソクラ 農業ジャーナリスト、山田優
政府は農業政策の指針となる食料・農業・農村基本法の改正作業に入った。政府与党内の調整など1年間の検討を経て2024年の通常国会への提出をめざす。焦点とされる食料安全保障にしろ、持続可能な農業の転換にしろ、課題は山積する。近年目立つ場当たり的な農政運営ではなく、中身はともかく真っ当で透明な議論を見てみたい。
「最初の農業基本法(旧基本法、1961年制定)の時には、百姓があぜで集まると話題になった。食料・農業・農村基本法(現基本法、1999年制定)の時にはそんなことはなかったなあ」
7月に86歳で亡くなった農民作家の山下惣一さんと、前に懇談した時に聞いた話だ。旧基本法は、規模拡大で生産性を高めて所得を増やし、同時に米麦中心から畜産、青果物への転換なども掲げた。農家の関心も非常に高かったというのが山下さんの説明だった。
旧基本法制定当時は都内に住み6歳だった筆者にはその肌体験はないが、記者をしていた現基本法制定の議論は覚えている。新聞紙面ではさまざまな報道があったものの、肝心の農家の間であまり盛り上がった印象はない。新基本法の議論を控え、現在はさらに農家の関心が落ちているのではないかというのが、私の考えだ。
関心が薄れる背景には、農家数が大きく減ったことがある。旧基本法制定の時代の農家戸数は600万戸、現基本法の時代が半分の300万戸、現在に至っては200万戸を割り込む。兼業化が進み、収入に占める農業所得の割合も減った。
しかし、盛り上がらない理由はそれだけではないだろう。
法律に基づいて政府が農業政策を遂行する。こんな当たり前の規律が、日本の政治の中でどんどんと緩んできたことが関係している。現実の政策が法律と関係なく進むなら、新しい法律づくりが興味を集めるわけがない。
「まずは(2013年に決まった)農業・農村所得倍増計画の検証をしてみてはどうか」
農政関係の主要な審議会リーダーを長く務めた福島大学の生源寺真一教授は最近、都内の講演会で皮肉たっぷりに語った。
2012年末に民主党政権を倒した自民党安倍政権は、勢いに乗って「農業・農村所得倍増目標10カ年戦略」を打ち出した。政府の年間農政方針である農林水産業・地域の活力創造プランに盛り込まれ正式な方針となった。その過程で審議会には形式的に諮られたものの、実質的には自民党と官邸の一部が主導してまとまった。現基本法の下だったが、よく吟味されない「倍増」だけが一人歩きしたかたちだった。
その後、「倍増」は農政の表舞台からひっそりと消えた。法律に基づく審議会はあるものの、大切な議論は水面下で決まり、その検証がなされていない。
一方で安倍政権は官邸農政のスタイルを踏襲した。現基本法で定めた審議会は軽視され、規制改革や競争力強化を求める官邸の意向が色濃く反映されるようになった。農協改革、輸出拡大などの方針が唐突に飛び出した。
こうした不透明な政策決定のプロセスは自民党に限らない。09年に誕生した民主党政権は、選挙でマニフェストに掲げた農業者戸別所得補償制度を農政の柱に据えた。法律に基づいた丁寧な議論をすっ飛ばし「これが民意だ」とばかりに強引に導入した。
この傾向は続いている。本来なら農業政策の大転換となるはずの、みどりの食料システム戦略づくりのプロセスも、突っ込みどころ満載だった。欧州で大胆な環境農業政策が20年春に決まり、慌てた農水省が「遅れるな」とばかりに省内で検討を開始。
10月に当時の野上農相が会見で構想を明らかにした上で、年末に官僚でつくる戦略本部が発足した。と思ったら、年明けにはあっという間に大筋が固まり、21年3月に素案がまとまった。
筆者は3月末の新聞コラムで「即席麺じゃあるまいし、3カ月ぐらいで農政の大転換を決めないでほしい」と書いた。法律に基づく審議会は、ほとんど戦略づくりに関与していない。この時農水省の頭の中にあったのは、夏の一般予算概算要求の際に、どうやって新しい政策を売り込むかだったと私はにらんでいる。
時の政権が勢いで決めた政策が、専門家や当事者の頭ごなしに降ってくるような農政の進め方を、「新しい法律を作るなら検証したらどうか」と生源寺教授は批判したかったのだと思う。現在の政策で何が足りなかったのかを分析しなければ、次の政策も言いっぱなしに終わる可能性が大きい。まずはしっかりした検証から始めるべきだ。
岸田首相は9月に開いた官邸の会合で「食料安保の強化と農林水産業の持続的可能な成長を推進する。政策を大きく転換していく」と発言した。自民党農林族幹部などによると、法改正に向けたスケジュールは次のようなものになる見通しだ。新基本法の検討を22年秋から始め、23年夏に中間とりまとめに持ち込む。年末に審議会で話し合いをして24年の通常国会に改正案を提出する。すでにレールに乗って議論は走り出している。
米国では議会が農政の主人公だ。米農務省は、原則として法律に書かれたことしかできない。日本のように官僚によるさじ加減の余地はきわめて小さい。米議会で農政は与野党間の対立が小さいものの、農業法制定には数年越しの議論を重ねるのが普通だ。
欧州でも農政の基本となる共通農業政策(CAP)づくりには数年かかる。利害の異なる欧州議会や各国政府、欧州委員会や農業団体が入り混じって、毎回激しい議論となる。農業団体などは不満があれば、トラクターを集め街中や高速道路に繰り出し大規模な抗議活動をする。
法律の重みがあるから、農家を含め当事者の目の色が変わる。日本の新基本法の議論に欠けているのはこうした熱意であり、法律の軽視が生むなれ合いが背景に横たわっている。農政の転換は農家にとって大きな経営リスクになる。冒頭に書いたように時間をかけても真っ当で透明性を持った議論が望まれる。
(ニュースソクラ www.socra.net)