2019年1月29日
農業とは耕すこと。こんな常識が崩れつつある。「土壌はできるだけそっとしておくべきだ」と唱えた米国人学者が1月、日本国際賞(ジャパン・プライズ)を受賞して注目を集めた。世界では実際に不耕起栽培が広がっている。1万年以上に及ぶ農耕の歴史が逆回転し始めたのには、深いわけがある。
米オハイオ州立大学のラタン・ラル博士・特別栄誉教授は1970年代、アフリカの土壌劣化を調べ、不耕起栽培が土壌保全に有効であることを実証。被覆作物の導入と組み合わせることで持続的な農業に結びつけたことが高く評価された。
地道な研究内容にもかかわらず、「ノーベル賞並み」の権威を目指すジャパン・プライズが与えられたのは、土壌の危機と気候変動対策に果たす役割に国際的な注目が集まってきたからだ。
地球上で農業を支えてきた土壌は、たんなる泥ではない。岩石が風化して細かくなり、死んだ動植物や微生物由来の有機物が混じり合って均衡状態にある。土壌を耕すと酸素が強制的に地中に供給され、有機物の分解が急速に進む。こうして取り出された栄養素を吸収し作物が育てるのが農耕の原理だ。
人類は最初、細長い棒を使って自ら土を耕した。紀元前6000年頃には動物を耕作に使い始め、長い年月を掛け金属の利用など農機具改良に勤しんだ。
耕作の分野で革新が起きたのは1837年だった。米国のジョン・ディアが発明した軽くて効率的に土壌の天地をひっくり返せる鉄製鋤(すき)が導入され、その後のトラクターの普及と併せ、耕作の規模は飛躍的に大きくなった。
不毛と思われた土地で農地造成が進み、面積当たりの生産性も向上した。すべてが順調に行くと思われたが、目に見えにくい土の中では深刻な事態も進行していた。
平均すると地球上の土壌の厚みは30〜40センチと言われている。施肥によって地中の栄養分を補う試みは続けられてきたが、焼け石に水の状態だ。人類が耕す前に比べ、土壌中の有機物(炭素含量)は25%減少したと見られている。世界各地で土壌は年々劣化しているのだ。土壌中に固定されていた有機物が大気に放出されると、地球温暖化を加速させる弊害もある。現在のようなスタイルで耕作を続けた場合、人類の生存を脅かすという警告が現実味を持ち始めた。
こうしたマクロ的な懸念と並行し、普通の農家の間でも耕すことに対する無条件の盲従が揺らいできた。不耕起栽培が最初に普及し始めたのは皮肉なことに米国だ。1930年代に吹き荒れた砂嵐で、養分を多く含む表土を失った農家が耕すことを止めた。その後、土壌研究者らの間で議論が続いてきた。
農家にとって不耕起栽培には次のような利点がある。
第1に、トラクターによる耕起作業が不要で燃料費や作業コストを削減できる。第2に重い農機が畑に入らないため、深い場所の土壌が圧縮されにくい。第3に表土の構造が崩れず、前作の作物残さが残るため、風や雨で土壌流亡がしにくい。
米農務省の調査によると、近年の米国内の小麦、トウモロコシ、大豆の不耕起栽培の比率(表土のみを軽く耕す最小限耕起を含む)は、いずれも6割を超す。1990年頃から全米で普及し定着した。2004年の世界の農地に占める不耕起栽培の割合はまだ7%に過ぎないが、米国以外でも拡大傾向にある。国連食糧農業機関(FAO)なども環境保全の立場から支援する。
最近は、農業以外の視点から、不耕起栽培にスポットが当てられるようになっている。土壌中の有機物の分解を抑えるだけではなく、積極的に有機物を土壌中に封じ込めることで大気中の二酸化炭素を減らそうという壮大な構想だ。
実際、ラル博士がジャパン・プライズを受賞したもう一つの理由として、「全世界で土壌炭素を毎年0・4%増やす」という国際的な運動に博士が貢献したことが挙げられている。国際社会がこの目標を達成できれば、化石燃料による二酸化炭素増加を相殺できると計算されており、フランス政府などが運動を進めている。
日本は栄養分が水を通じて運ばれる水田が多く、畑作地帯とは事情が異なるが、できるだけ耕起せずに水を張ったままにしたり、被覆作物で土壌を保護したりする試みが広がっている。
人類の歴史と長年連れ添ってきた耕起の役割が、今見直されようとしている。
(ニュースソクラ www.socra.net 農業ジャーナリスト、山田優)