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毎年300人が事故死

2021年10月27日

農作業の安全が急務
毎年300人が事故死

ニュースソクラ 農業ジャーナリスト、山田優

 農作業中の事故で、毎年300人近くが命を落としている。トラクターや収穫機械が横転したり、温室のフィルム張り替え中に高所から落下したりするケースが後を絶たない。都会のメディアでほとんど報じられないため、社会の関心は低いが、農業はもっとも危険な業種の一つなのだ。

▽崖下の川に転落死

 福島県東部の田んぼで、10月15日にいたましい事故が起きた。地元メディアによると、稲刈り機を運転中に、農道から横を流れる3メートル下の小川に転落した。作業していたSさん(75)は、その後救助されたが、病院で死亡が確認された。

 過去10年の農作業中の死亡者数は年間に約300人。そのうち3分の2はトラクターや収穫機などの農作業機械の作業中に亡くなる。高齢化が進む農業では、死亡者の9割が65歳以上の高齢者で占められる。紹介したSさんの事故は、農作業事故の典型的な事例である。
 農水省作成の「就業人口10万人当たりの死亡事故発生件数の比較」によると、農業の危険性は一目瞭然だ。全産業では1・3人、比較的危険な作業が伴う建設業で5・4人に対して、農業は16・7人(いずれも2019年=令和元年)とはるかに高い。しかも、建設業の件数が緩やかに下落している一方で、農業はじりじりと数字が増えている。

農水省資料から作成

▽事故に遭うのは経営の柱

 以前、取材で農作業事故を起こした農家を訪ね歩いたことがある。直前に死亡事故を起こした遺族から「忘れたいからもう来ないで」と厳しい口調で言われた。事故に遭うのは多くが経営の柱。事故後に廃業する経営も多かった。
 一方で濡れた牧草収穫機に巻き込まれ、片足を失った北海道の若者は、「同じ苦しみをさせたくない」と義足を外して大型トラクターに乗り込む姿を撮影させてくれた。
 いちばん驚いたのは、農家の多くが農作業事故と隣り合わせの日常生活を送っていることだった。果樹地帯を訪問し、記者数人で手分けして農家を歩き、聞き取りをした。57人の農家の8割以上が事故につながりかねないヒヤリ・ハットの体験があると答えた。
 ある農家は「父親と一緒に作業をしていた。ふとした拍子に父親が刈り払い機を動かしたまま後ろを振り向き、刃が私の手に触れた」と自らの経験を話した。はめていた軍手の一部は切れたが、幸いに指は無事だったという。刈り払い機は農家の多くが日常的に使う農機。しかし、むき出しの刈り刃が高速回転するため、傷害事故に結びつきやすい。

▽毎年6万件の農作業事故

 事故などに共済(保険)金を払うJA共済連の推計によると、年間に6万件以上の農作業事故が起きている。大半は軽度な障害で済むが、数パーセントの確率で後遺障害や死亡事故に至ってしまう構造がある。
 農作業事故に詳しい宇都宮大学農学部の田村孝浩教授は「農作業では膨大な数のヒヤリ・ハットがある。注目されるのは実際に事故が起きて傷害や死亡に至る事例ばかりだが、そこに至るまでの日常の作業に潜むヒヤリ・ハットを減らしていく努力が欠かせない」と説明する。
 日本の中で、命の危険が身近にあり、その事故割合が上昇している産業が存在するのはなぜだろうか。

▽農業は労働安全制度の対象外

 一つは農業の多くが自営業で担われ、労働者のように労働安全衛生制度の対象ではないからだ。同制度では雇用者は労働者の安全第一が義務づけられ、安全の管理者を配置することが求められている。建設業の現場作業は、その日の安全対策を全員で意思統一してから始まることが多いが、家族経営の農家の場合、そうした例は多くない。
 乗用トラクターの運転の際にはシートベルトやヘルメットの装着が必要にも関わらず、ある調査によると6割の農家が守っていない。仮に建設現場の労働者がそうした規則を日常的に守っていないことが判明すれば、企業は労働基準監督署から厳しい罰則を科せられるだろう。
 また、農作業の多くが野外で行われることも関連している。畑のかたちや傾斜度、気候、対象作物などの条件がばらばらで、事故が起きた際の教訓を共有しにくい。別の経営で起きた事故は、農家の意識の中では「うちとは条件が違う」と片付けられてしまいがちだ。

▽背景に農村の高齢化

 もう一つは急速に進む農村の高齢化が関連している。

 農作業死亡事故のうち、9割近くが65歳以上だ。80歳以上に限っても4割を占める。体力や機敏な対応力が衰える高齢者が農業に従事するケースが増え、農業機械の操作を誤ったり、高所の作業で転落したりする結果に結びつきやすい。
 こうした構造的な危険性が存在しながら、国の行政の中で農作業事故は重視されてこなかった。農業は農水省が管轄するが、労働安全は厚労省。農業機械の製造は経産省が管轄する。省庁の縄張りのエアポケットにはまり込んでいたのだ。
 21世紀に入るころから政府の規制緩和が追い打ちをかけた。農水省は農業機械の安全性を調べる型式検査を簡略化し、それまで実施してきた独自の傷害事故調査もやめた。三位一体の改革で都道府県に税源が移譲され、国の農作業安全関連予算が大幅に削減された。その結果、実質的に農作業事故を防止する行政の機能は低下した。

▽10年前に風向き変わる

 風向きが変わったのは10年ほど前からだった。当時、死亡者数が400人程度で横ばいのまま推移したことへの世論の風当たりが強まったからだ。
 農水省は政策の基本計画の中で、農作業事故死亡者数の削減目標を具体的に掲げた。対策予算を増やし、啓発活動や事故調査を大幅に強化。母数となる農業就業者数の減り方が大きかったため、10万人当たりの死亡事故割合はじり高になってしまったものの、実数そのものは近年300人を割る水準に低下してきた。
 今年5月、農水省は農作業安全に関する検討会で事故防止の新しい対策を決めた。事故の多いトラクターでシートベルト装着を促す警報機器や、座席を離れると動力がストップするなどの装置を農機メーカーに求めていく。ほ場を整備する際に、作業の安全対策を徹底する。また、補助金受給の条件として農家に安全研修会の受講を義務づける方向も打ち出した。
 いずれも大切な対策だろう。だが、農家の多くが労働安全衛生制度の枠外に置かれる現実に変わりはない。欧州では自営農家に対して、労働基準監督署と同様の強制力で農作業安全対策を義務づけ効果を上げている国も多い。わが国で農作業事故をさらに大きく減らすために参考にするべきだろう。

(ニュースソクラ www.socra.net)

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