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2022年10月27日

和牛の未来に潜む危機

ニュースソクラ 農業ジャーナリスト、山田優

 5年に1度開催される和牛の品評会「全国和牛能力共進会(全共)」が、10月に鹿児島県で開かれた。海外などを含め30万人以上が来場した。全国の主要産地が自慢の牛を出品する「和牛の五輪」だが、華やかなイベントの舞台裏で、和牛業界の足元に深刻な危機が忍び寄っている。

 「歴史と風土に培われた固有の財産であり、日本の食文化を代表する食材として、国内外から高く評価されている和牛の改良に日々取り組んでいる皆様方に、直接、祝意をお伝えさせていただきたく、内閣総理大臣として初めて閉会式に参加した」
 霧島市で開いた全共の閉会式に出席した岸田首相は和牛の価値を強調。全共に併せて開催した、生産者との車座対話の場で、政府として飼料価格高騰や子牛価格の下落への支援対策を強化すると約束した。旧統一教会問題などで苦しい立場にある首相にとって、支持基盤である農業層にアピールする絶好の機会になったのだろう。

 全国の農業産出額(約9兆円)の中で、和牛が多くを占める「肉用牛」は7000億円で、「米」の1兆6000億円と並ぶ、農村の主要な産業だ。都会にいるとなかなか和牛を目にする機会はないが、南九州や東北、北海道などを中心に4万戸の農家が180万頭の和牛を飼育している。
 ほとんどが高級和牛肉として店頭に並ぶ。牛はと畜された後、内臓や骨を取り除き枝肉となる。その後、ロースやモモなどの部位ごとに切り分けられ、食卓に上る。

▽最高級部位の割合急増

 最高級和牛の代名詞といえる食肉格付け「A5」に分類される枝肉の割合は5割に達し、10年前の2割以下から急上昇している。霜降りと呼ばれる肉の脂肪交雑(さし)が増えれば格付けが上がり、高値が期待できるため、和牛業界を挙げて改良を進めた成果だ。

 ここでいう改良とは、さしが入りやすく、成長が早い和牛の血統を選んで交配させることで優れた種牛を育て、最終的に和牛が枝肉になった時に高格付けを狙うこと。各県は独自の優良血統の種牛を抱え込み、農家もさまざまな血統同士の組み合わせを考えながら人工授精や受精卵を移植を繰り返し、少しでもさしが入りやすい和牛をめざす。A5を高い比率で安定して出荷できる産地が勝ち組だ。
 さし重視は、米国やオーストラリアなどから大量に出回る輸入牛肉に対抗するための錦の御旗となってきた。30年前に牛肉の輸入が自由化され、近年は輸入関税が引き下げられている。スーパーの店頭で輸入牛肉との価格競争に巻き込まれないよう、各産地が競ってさしが入りやすい和牛の育成に取り組んできた。消費者の多くも霜降りの牛肉を最高級と受け止め、高い値段を受け入れてきた。

 全共は、そうした激しい改良競争の頂点に立つ晴れ舞台なのだ。

 一見すると和牛業界は順風満帆のようだ。新型コロナ禍でいったん下落した枝肉市況は持ち直した。海外でも和牛の人気が高まっている。世界を見渡してもこれだけさしが入る牛肉は他にない。和食への関心の高まりや最近の円安を追い風にして、輸出は年々拡大している。

 2021年の和牛肉の輸出額は537億円で前年に比べて200億円以上も増えた。農産物輸出振興を農業政策の柱に据える政府にとっても和牛は優等生だ。政府は25年に1600億円、30年に3600億円という野心的な数字を掲げ全国で和牛の大増産を進めている。

▽さし重視で深刻な問題

 しかし、さし重視の改良を急いで進めてきた結果、和牛業界は深刻な問題を抱えるようになった。

 牛の近親交配による弊害だ。改良を主導してきた農水省も「種雄牛が集中し、近交係数が上昇している」と警鐘を鳴らす。遺伝的多様性の喪失を通じて不良形質が発現し「死産」「不妊」「受胎率低下」「発育不良」が懸念されるとしている。

 人間では近親者の交わりは禁じられているが、和牛改良の世界では血縁関係の深い牛同士の交配が普通に重ねられてきた。種牛のエリートを作り上げるため、さしが入りやすい形質を持っている限られた先祖の血統を、改良素材として繰り返し利用し、結果として血が濃くなってしまったのだ。
 共通先祖の血縁関係を元に計算する近交係数は、「親子、きょうだい」同士の交配の25%を最高に、「いとこ」6・25%、「はとこ」1・56%と低くなる。同省の資料によると、血統や改良を調べている団体が計算する和牛の同係数は、過去一直線で右肩上がりだ。20年前に「いとこ」レベルの交配水準を突破し、その後も上昇傾向に歯止めが掛からない。

 同省で和牛改良の研究や開発に取り組んだOBの一人は「近親交配を避けなければならないことは、みんな理解している。しかし、和牛改良ではさしを入れることが究極の目標で、技術者や農家もそれを求めてきた」と解説する。和牛の世界では、「赤信号みんなで渡れば怖くない」のスタイルが長く続いてきたというわけだ。

▽失われる多様性

 生まれる子牛に表面上は異常が見られなくても、不妊などの劣性遺伝子がその子孫に伝達されると、将来子孫同士の交配によって一部が悪影響を受ける可能性が高まる。すでに和牛の現場では、近交係数の上昇で受胎率低下などの弊害が生じているという声も上がっている。さしの多さだけを物差しにした改良を転換しなければ、遺伝的な多様性が失われ、和牛産業の存立そのものが危うくなる可能性もある。だが、十分に危機感が共有されていない。

 牛肉に詳しい食生活ジャーナリストの山本謙治さんは「全共は狭く閉鎖的な遺伝子空間での競い合いになっている。(さし重視の)審査基準が明確なことが原因だ」と指摘する。脂肪交雑だけに注目するのではなく、遺伝子の多様性や本来の和牛の味わいを全国で競い合うような方向に切り替えていくべきだと主張する。
 「フランスで調査をした際に『シャロレー種やリムーザン種といった肉用種が主流だが、全国でみればその土地に由来した22種くらいの肉牛品種がある』と言われて驚いた」と山本さん。一方の日本では肉用種の大半を、さしが入りやすい黒毛和牛が占める。全共に出場した和牛の中で、黒毛和牛以外はほんの一握りだ。

 フランス料理は地域に根ざした多様な食材に支えられている。味や風味の異なる数多くの肉牛品種が存在するのはその証しだ。

 最近、日本でも牛肉料理の専門家などの間からは「A5」の和牛肉が必ずしもおいしくないという声が出始めている。脂肪分が多すぎて肉本来の味を楽しめないという指摘だ。健康を考える消費者の赤身志向も進む。放置すれば幅広い消費者に和牛が見放される恐れもはらむ。

▽遅い改革の動き

 東海地方の高級な和牛産地で知られる食肉市場関係者は、「国内で売り切れない霜降り肉を輸出することで全国の和牛肉需給が均衡しているのが実態」と証言する。実は輸出される牛肉の多くがロイン系と呼ばれる高級な部位。海外でさしが入った牛肉が好まれるという事情もあるが、見方によっては国内の牛肉消費の変化を反映していると言えそうだ。

 かつてない飼料価格の高騰や地球環境への配慮なども、和牛業界に押し寄せている。

 全共は肉のおいしさに関係がある脂肪中のオレイン酸などの含有率を審査する部門を設けたり、遺伝資源の多様性を要件に入れたりして、「さし偏重」という批判に応えて改革を進めようとしている。農水省や府県で和牛を担当する部局も、時代の変化を意識した改良への転換を始めている。
 しかし、和牛が直面する課題の深刻さに比べると、こうした動きは明らかに鈍い。5年後に北海道で開く全共までに、新しい和牛の未来を描くことができるかどうかが問われそうだ。

(ニュースソクラ www.socra.net)

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