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食×農の現場から
REPORT | 2020年7月30日

農業経営は半径3kmの幸せを追い求めること 〜夢農人とよた・大橋園芸

地域農業を支える若手農業生産者の取り組みについて、昨年12月に開催した当機構中部支部セミナーにおいて、4名の農業経営者の方々から、その取り組みや経営理念等を発表いただいた。(https://jfaco.jp/report/1515
その登壇者の取り組みをご紹介する3人目として、愛知県豊田市の若手農業経営者グループ「夢農人(ゆめノート)とよた」(以下、“夢農人”。)の相談役である大橋園芸代表の大橋鋭誌氏にお話をうかがった。

 

地域の期待に応え、業務拡大を続ける

豊田市といえばトヨタ自動車のお膝元だが、トヨタ自動車の本社ビルからそう離れていないところにのどかな田園風景が広がる。大橋氏が「豊田市の最後のグリーンベルトです」と笑いながら指差すエリアに大橋園芸がある。
大橋園芸では、野菜・水稲苗の生産販売を中心に、米、大豆やトマトの栽培に加え、近隣の田畑の作業受託を行う。栽培面積は34ha(うち水田の受託面積は32ha)と広大であるが、ほとんどが近隣でまとまっているという。

大橋園芸周辺。田畑が広がっている

大橋園芸代表・大橋鋭誌氏

大橋家では代々地元で農業を営んでいるとのことだが、これだけの広さになったのは5代目となる鋭誌氏の代になってから。「自分が就農したのが20年前、父親は50代。その頃は兼業農家がこのあたりにもまだたくさんいた」と大橋氏は語る。祖父の時代に稲作地帯だった地域が、周辺の工業化とともに父の時代にはコメの兼業農家がおおかたとなった。そして、その兼業農家が歳を取って担いきれなくなった土地を預かり、農業を引き継いだ結果、現在の規模になったと話す。

大橋氏が21歳で就農した時は、祖父母、両親と自分の3世代5人での家族農業だった。人手に不足はなかったものの、大橋氏が28歳の時に、同い年の若者をひとり雇ったことがひとつのターニングポイントと振り返る。
当時は皆元気で働いており、足許での雇用の必要性は低かったが、もし祖父母に何かあったら、母が介護しなければならないということを考えた。その時に困らないよう、早めに雇用しようという思いだったと話す。やがて祖父が倒れてしまい、続けてなんと父までも病に侵されてしまう。大橋氏は32歳で父を喪い、その後祖母も、という形で立て続けに家族の3人を失うことになってしまった。
一方、その頃には苗生産の規模も大きくなっており、人手はさらに必要となっていたという。近隣の苗農家が高齢で農業をやめていくなか、大橋園芸への期待が高まり、地域の担い手として活動範囲を拡げていった。一般的に、農業経営にとって人を雇うことは一つの大きなハードルと言われる状況にあって、その読みと判断には感心するばかりだ。

 

若手農家グループ“夢農人”の立ち上げ

地域の要請に応えるように苗生産事業を拡大しながら、大橋氏が取り組みはじめたのが地域の「若手プロ農家」の組織化と発信、地元との交流である。
2010年(平22年)に、地元の若手農家3人で、任意団体“夢農人”を設立。「真っ白なノートに夢を書き込もう」との思いで名付けられた“夢農人”には、大橋氏らの声掛けにより、地域の農家の跡取りや新規就農者等が加わり、現在では、さまざまな品目を担う29名の若手農業経営者が参加している。(http://yume-note.com/

“夢農人”がはじめに取り組んだのは地元企業のイベント会場の片隅を借りて行った「軽トラ市」だ。当時は、通年で販売できる産品がコメだけだったことから、提供できる新鮮野菜のバリエーションを増やしていくとともに、地元産の小麦を使ったたこ焼きを作って売ってみたところ好評だったと話す。これを受け、翌年には、地元産食材にこだわり、小麦や野菜はもちろん調味料や味付けに地元の醸造会社やシェフの協力を受け開発したうどんを「このまちうどん」と名付けて販売、地元グルメコンテストでグランプリを獲得する等、着実に存在感を高めていく。
その後、2015年(平27年)に“夢農人”での常設店舗「ころも農園 蔵カフェ&マルシェ」をスタート。5年の期間限定で地産地消に関するさまざまな活動に取り組んだという。(2020年(令2年)2月末に契約期間終了により閉店。)

ころも農園の外観(写真提供:大橋氏)

ころも農園の内部(写真提供:大橋氏)

現在、“夢農人”はオンラインやマルシェなどでメンバーの野菜を販売するだけでなく、大橋氏が中心となり、高速道路のサービスエリアでの加工品の直売所開設やトヨタ生協内のフードコートにレストランを出店している。加えて、大橋氏自身も2012年(平24年)からフレンチレストランを経営しており、“夢農人”のメンバーが作った農産物と地元食材のコラボレーションが味わえる場所として貴重な存在となっている。
大橋氏は、飲食に活動範囲を広げる意味合いとして、「自分の叔父が寿司屋をやっていて、子どもの頃の自分の居場所だった。店は父や祖母も手伝っていた。子どもの頃やっていたことと同じ」「食べてもらって喜んでもらい、種まきからおいしいと言ってもらえるまでが農業」と、農と食の境目は感じたことはないと屈託なく笑う。

この他にも、“夢農人”では、こども園での野菜作りや小学校での稲作体験支援に始まり、中学校の職場体験や教師を目指す地元大学生の農業体験での農場受入れ、高校生にはどんぶりメニュー開発イベントの開催、地元の子ども食堂への食材提供等々、さまざまな切り口で地元農業に関心を持ってもらう活動を繰り広げている。
また、この春はコロナ禍のなか、メンバーの生産品を詰め込んだ農産品ボックスのドライブスルー販売にもチャレンジ、近隣の住民からも好評だったという。さらに、今年度からは、夢農人の活動に賛同する地元の物流サービス会社と提携し野菜ボックスの宅配や市街地の空き店舗を利用した大掛かりな直売所の設置も検討中ということで、“夢農人”と大橋氏の活動は止まることがない。

大橋氏が指導する寿恵野小学校の田んぼ

田んぼの隣はビオトープで、皆が親しんでいるという

 

集まりへの参加「ひとつひとつが“信頼”」

“夢農人”を立ち上げる時、大橋氏は地元の青年農業者会議(4Hクラブ)などに積極的に参加していた農業者たちをピックアップしたという。それは、大橋氏自身も若い頃から市内のいろいろな集まりに継続的に参加し続けたことが、いろいろな出会いに結び付いたという経験に基づくものだと話す。
「4Hクラブに(積極的に関わりを持ち続けて)来るやつは、ちゃんと上がってくる」と大橋氏は断言する。参加した集まりひとつひとつの場面での行動が信頼となり、いろいろな人と関わり続けることで、意図しない形でチャンスが回ってくるのだという。

“夢農人”は、自らが成し遂げたいこととして、「農業の未来の担い手を増やすこと」を掲げている。メンバーがいろいろな場に出かけ活動することで信頼を積み重ねることは、各人の地域の集まりへの参加に重なる。日常的な集まりに積極的に参画できる人こそが、自らが楽しみながら農業に取り組む姿勢を自然体で伝えていく役割を全うできるということのようだ。
また、“夢農人”の活動の根底には、農業の未来を考える時、生産者は農業生産に取り組むだけでは足りないという問題意識を強く感じる。同グループの行動指針でも「わたしたちの農産物の存在、精神、本物のおいしさ(食物の場合)を、もっとたくさんの人に知ってもらおう。」とうたい、農業を通じて地域の人々との信頼を築き、地域のネットワークを活性化することを志す。前述の参加メンバーの選定には、単に“夢農人”の活動へ賛同するだけでなく、行動指針を本気で実現しようとする自主性を重んじつつ、場への関わりの様子や活動の主体性を見て総合的に判断したという大きな方向感が伺える。
そして、こうして選ばれたメンバーだからこそ、長く活動を継続し、地域や子どもたちの農業に対する信頼をひとつひとつ積み重ねていくことができたといえるのではないか。

“夢農人”の活動風景(写真提供:大橋氏)

“夢農人”のメンバー(写真提供:大橋氏)

ところで、若手農業者といえば、さまざまなテーマで開かれる農業者向けのセミナーや研修会にはじまり、地域のさまざまなイベントに声がかかる機会は非常に多いと聞く。だが、若手農業者の中にはそういった催しに対し、その時の興味を優先して選別したり、忙しいことを理由に催しそのものを敬遠したりするケースが少なからず見受けられる。周囲でも「若いものはまずは技術を」と外に出させないことがあると聞く。
農業の目的を果たすためには、当然のことながら生産活動の安定は欠かせない。「まずは畑から」「忙しくて畑から出られない」ということはもっともだ。加えて、他の製造業に比べて組織の規模が小さい農業では、さまざまな環境変化への対応が、農業経営者の負担をさらに増している。最近では、新型コロナウイルス感染症や激しく変わる天候への対応に手一杯という状況が現実だろう。だが、農業者の多くは、誇りを持って作ったものを出荷するだけでなく、自身のつくる農産物や農業の営みを通じて消費者に価値を伝え、地域をよくしていきたいという思いを抱いているのではないか。そうであれば、時には畑を離れて他の農業者や地域と協働することで社会的な人間関係を豊かにし、自らの視座を変えてみたり、そういった動きを応援してみてはどうだろう。目先の売上や経営の効率化だけに気をとらわれるだけでない、もう一歩の踏み出しを期待したい。

大橋氏も「世の中、人しかいない。人の信頼を得られないやつは何をやってもダメ」と強調する。先の中部支部セミナーで、大橋氏は「半径3kmの人を幸せにするのが使命」と語ったが、「半径3km」というのは小学校区の範囲だという。今回お話を聞いて、地域に寄り添い強い信頼関係づくりにチャレンジし続ける、大橋氏らしい距離感が実感できた。

 

大橋園芸~ふたたびのトマト生産と現在の事業の状況

「苗屋だから、いろいろ(な野菜も)作っていた」という大橋氏がトマト栽培の専用施設を建設したのは2015年(平27年)のこと。フェンロー型と呼ばれる軒高のビニールハウスが流行しはじめた頃だが、大橋園芸のトマトハウスは一見普通のビニールハウスである。低コストではあるが台風などにもじゅうぶん耐えられる構造で、耐用年数も50年くらいを見込めそうとのことだ。
父親の代に1度チャレンジして撤退したトマト生産の再立ち上げにあたって、大橋氏は、「ふつうの農家や新規就農者でも黒字化できるハウスを作りたいと思って」検討に入ったという。ちょうど、当時の農水省の「農業界と経済界の連携による先端モデル農業確立実証事業」に採択され、面積30aのハウスを建設した。大玉トマトを11月〜7月までの長期採りを行っているが、計画の目標数量を確保し、採算ベースに乗せることができたという。

大橋園芸・ハウス内部(提供:先端農業連携機構)

大橋園芸の栽培風景(提供:大橋園芸)

農業生産・販売にレストランの運営等、大橋園芸では、前述のとおり家族経営をベースに事業拡大を進め、現在では9人のスタッフを抱える。
まもなく法人化するとのことで、「なぜ、今、法人化か」との質問したところ、大橋氏は、「8年くらい前に、一度、法人化しようと思ったが、タイミングを逸しただけ」と自然体だ。これからの事業展開を考えていく際に、「法人でないと認めてもらえないことがある。例えば補助金とか。それと、従業員の安心感や保証も」と話す。一方、従業員の確保には、採用の競争が激しいこの地域ならでは苦労も多く、「給与は、地域の農業以外の業種と比べても負けないようにしている」と笑うが、多忙な大橋氏をサポートする人材も育っているということで、人材確保への自信ものぞかせる。

コロナ禍を踏まえたこれからの展望

この春のコロナ禍では、“夢農人”のメンバーも、茶、外食産業向け鶏卵、花卉を中心に大きな打撃を受けたと話す。大橋氏も関東圏飲食店向けの発注がストップしたが、地元スーパーの需要で補えたという。自ら営む飲食等の影響を推察すれば小さくない影響はあったと思うが、深刻そうな様子はない。

最後に、これからの展望を伺ったところ、「豊田市は近接する名古屋圏の消費人口も多く、都市近郊農業が営める。しかも自動車の街だけあり、自動車交通の便も良く農業には恵まれた環境」とも話す。しかし、「これといった特産がないことから、工業だけが突出して発展してしまった。人口が増えてきた街で、農業も変わっていかなければならない・・・」と大橋氏は、地域農業の見立てを語る。
「農業も地場産業だし、地域とは切っても切れない。だから地域でできることをしたい。ゆくゆくは街がよくなればいい」と語る。大橋氏と“夢農人”は、米、麦、大豆といった大きな面積を活かす土地利用型農業に施設園芸等を組み合わせ、さまざまな品目を地域の消費者に提供していくことを目指すという。
今回のコロナ禍が契機となり、今後の農産品消費については、当地でも顔の見える地元志向が強まってくることが見込まれるという。このような状況を踏まえ、前述の環境認識をもとに、都市近郊の消費人口の多い豊田市ならではの立地を活かした今後の展開には自信を示す。
“夢農人”の活動を通じた地域と農業の活性化との両方を追い求める、法人化後の大橋園芸の発展と大橋氏の活躍に目が離せない。

(中部支部事務局長 内田文子)

 

<組織概要>
名 称 大橋園芸
代 表 大橋 鋭誌
所在地 愛知県豊田市鴛鴨町畑林280