地域農業を支える若手農業生産者の取り組みについて、昨年12月に開催した当機構中部支部セミナーにおいて、4名の農業経営者の方々から、その取り組みや経営理念等を発表いただいた。(https://jfaco.jp/report/1515)
その登壇者の取り組みをご紹介する最終回として、長野県下條村の有限会社カネシゲ農園代表の古田康尋氏にお話をうかがった。
カネシゲ農園のある下條村は、長野県の最南端である下伊那郡のほぼ中央に位置する。雄大な山々に守られるように集落が連なっているのが特徴だ。
その集落を見下ろすように建つカネシゲ農園では、標高差のある地形を活かしながら、りんご、桃、梨、柿、そばを栽培するほか、シードル(ハードサイダー)の醸造販売を行っている。炭焼きをしていた先々代となる祖父がこの地域にりんごを植えたのが、カネシゲ農園のはじまりという。
シードル醸造のもととなったりんごジュース作りは先代の父親の代から始めたと話す。ジュース製造は規格外果実の廃棄ロスや捨て値販売の回避にもつながるだけでなく、旬が限られる季節の果物を一年通じて楽しんでもらおうとする思いが契機となったという。なお、シードルづくりを果実栽培から搾汁、醸造までを自社で一気通貫に行えるのは全国でも数少ないそうだ。
二代目である父・古田道寛氏は、20歳のとき、アメリカ・オレゴン州に1年間りんご栽培の修行に出かける。アメリカで先進的な果樹栽培や農業経営に刺激を受けた道寛氏は、現地で学んだことを農園経営に反映させ、現在のカネシゲ農園の基礎をつくっていった。樹を巨木にせず作業の効率化を図るわい化栽培をいち早く取り入れただけでなく、村を窓口とした果樹オーナー制度を始め、オーナーが毎シーズン果樹園に訪れる観光と販売を組み合わせた仕組みをつくったのもそのひとつだ。
(果実オーナー制度/下條村HPから;https://www.vill-shimojo.jp/gyousei/mura/kajituona/2009-0408-1336-9.html)
また、道寛氏のグループは早くから土作りに着目し、健康な土壌環境により樹勢がよくなった結果、減農薬につながるという栽培体系を構築、りんごの品質を高めることに成功した。グループが作る減農薬、有機肥料使用をうたったりんごは、個人宅配事業で人気の商品となったという。
もともとこの地域では、りんご栽培の南限という特徴を活かし、りんごを樹上完熟させ、当時は珍しい蜜入りりんごを販売していた。地域のりんごは、それぞれの農家が顧客を持ち売り切ってしまうため、「市場流通しない幻のりんご」としてもてはやされていたそうだ。
古田氏が就農したのは21歳のとき。当時、仕事場は両親と年配のパートさんだけで、毎日の作業に「会話もなく、おもしろくなかった」と振り返る。父親と衝突し、農業から離れたこともあったという。
しかし、父親の病気を機に農業に戻る。その後、弱冠24歳で「突然、明日から自分が(社長を)やれ」と言われという。経営移譲を受けたのは夏のことだったが、さらにその年の11月には父が入院し、携帯電話だけを渡された。業務上の引き継ぎやあいさつ回りなどもなく、手探りのなか、「とにかく取引先に心配をかけないようにすることに必死だった」と話す。古田氏は、突然の全面的経営移譲を受けた当時を振り返り、「自分にぬるいところがあったのではなかったか」と、父の想いを想像する。
こうした古田氏の経験は「長いこといっしょにできる相方が欲しい」という思いにつながり、雇用に踏み切ったという。現在、シードル醸造を担当する櫻井隼人氏、これから始まるクラフトビール醸造を担う弟の古田健詞氏の二人は、この思いをもとに声を掛け、別の仕事から転じ加わってもらった心強いメンバーだ。
とはいえ、「人材登用のすべてが順調だったわけではない」と振り返り、「採用は大変です」とつぶやく。そのうえで、古田氏はカネシゲ農園に「相方」と信頼できるメンバーが集まった背景として、それぞれに新しい挑戦ができ結果を追い求めることができるフィールドがあること、組織としてのビジョンがあることと力を込める。
カネシゲ農園がシードル醸造を始めることを決めたのは2016年1月のことだったと、古田氏は振り返る。その決定の後、近隣の醸造所の視察、醸造を担う法人の設立を進め、平行して村に「果実酒特区」の認定取得を働きかけていった。
この「果実酒特区」は国の構造改革特別区域計画のひとつで、「果実酒特区」の認定を受けることで、認定された構造改革特別区域内において、新規就農の促進と農家の安定経営支援を目的とし、果実酒の製造量の最低製造数量基準が緩和されるというものだ。当然、村で初めての取り組みのため手探りでのスタートだったというが、近隣自治体での先行事例も参考にしつつ、村の全面的な協力により、同年7月には下條村が「果実酒特区」に認定される。
村の特区認定を受け、直ちに醸造設備を導入、果実酒醸造免許の申請を行う。申請が認められ、醸造を開始したのはその年の12月のことだったという。その年の暮れ、櫻井氏が「走り抜いたな」とつぶやいて家路についた姿を思い出すと、古田氏は当時を懐かしむ。
この逸話だけでも、十分な人手があるわけでもなく、農業生産を行いながらわずか1年で、ここまで漕ぎ着けるという古田氏のスピード感と突破力に、あらためて感心させられる。
こうして始まったシードル醸造ではあるが、近隣の飯田市、松川町をはじめ県内外の各地で行われてはいるものの、まだまだ日本での知名度が低いと話す。
このため、古田氏は次の一手に思いを巡らせる。シードルを手にとってもらうための導線として、着目するのはクラフトビールだ。フルーツビールをリリースすることで、果物に興味を持ってもらい、シードル消費へつなげたいという。こちらは健詞氏が中心となり、醸造研修に行くかたわら機械を調達するなど、現在、急ピッチで準備が進む。来年の春には仕込みをはじめる計画とのこと、これからの拡がりが楽しみだ。
一方、古田氏は地域の観光開発にも着手すると、さらりと話す。先代の時代からオーナー制度等も取り入れ、りんご狩りを受け入れているが、「最近の若い人は、リンゴ狩りに来ても、あまりりんごを採らない。土産に配らないし、それぞれが食べる量も減った」という。顧客の9割が50代以上となっている現状から、父親が築き上げた顧客基盤の再構築に向け、「若い人にもこの地域に興味をもって欲しい」と古田氏は目標を掲げる。
りんご狩りだけでは滞在時間が限られ客単価も上がらない。まずは、キャンプ場をつくり、宿泊や回遊に誘導することで、地域の滞留時間を増やすことを目標とするという。加えて、キャンプ場や街なかでアピールできるよう、スムージーなどを提供するキッチンカーを導入し、周辺地域に人々の関心を集めるためのさまざま導線を張り巡らせようと目論む。
さらに、地域の若手農家たちに酒販業免許取得を拡げ、くだもの狩り客へのシードル販売を通じ地域全体としての誘客を強化していくことも計画しているという。また、生産者だけでなく、地元の農家のお嫁さん世代のグループが行うマルシェのサポートや、彼女たちの仕事先として自社農場への受け入れを行うなど、多様な人々との交流をはかり、地域を盛り上げようと取り組みを続ける。
カネシゲ農園では、経営理念に「地域に根差し、地域の農業を盛り上げ、地域の農業の発展に尽力する」とあるとおり、自らの事業を通じた地域の発展を目標としてきた。足下、この地域での拡がりのスピードが上がらないことが課題とし、その要因を自らの「求心力」不足にあると分析する。
地域のリーダー役を期待される多くの若手農業経営者が苦労されているように、地域内での温度差のため、地域イベントや様々な活動の足並みが揃わないケースは多い。一方、地域の高齢化は待ったなしで、荒廃地もますます目につくようになっているという。もちろん、古田氏は歩みを止めるつもりはなく、既述のとおり次々と次をにらんだ策を打ち続ける。
古田氏は、「個人的に生まれ育ったこの場所が好きだから」と、「一緒にやろう」といってもなかなか取り組みが加速しない現状を嘆くことはしない。圧倒的な実績を積み重ね、それを地域に示して、次々と“おもしろさ”を提案していくスタイルに転換したと笑う。そんな古田氏の方針転換に、少しずつではあるが周りの温度感が変わってきていると手応えを感じているようだ。
他方、そんな古田氏に今回の新型コロナの影響を聞いたが、怯む様子はない。
今年4月以降、飲食店や土産物店の営業縮小により、ジュースやシードルの加工品の売上はぱったり止まったという。しかし、新規開拓やネット販売の拡充などで「V字回復以上」の軌道が期待できているという。また、営業活動に勤しむだけでなく、地元のカットフルーツ工場やクラフトビール工場へ勉強に出かけるといった研究開発にも余念がない。「コロナで立ち止まることなく、次の手を打ち続ける」と古田氏は力強く語る。
亡くなる前日まで地域の農業振興に尽力していたという先代である父親の姿を胸に、古田氏とそのチームは、これからも下條村を起点とする「道」を広げていく。古田氏が力を込めて語る地域での圧倒的な実績を目指す取り組みに期待は大きい。
(中部支部事務局長 内田文子)
<組織概要>
名 称 有限会社カネシゲ農園(農業生産)、株式会社道(果実加工・販売)
(https://www.kaneshige.jp/)
代 表 古田 康尋(㈲カネシゲ農園)、櫻井 隼人(㈱道)
所在地 長野県下伊那郡下條村睦沢7047-21
従業員数 5人(他、季節従業員)